猫額洞の日々

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2016年 05月 09日

アンドリュー・ヴァクス/佐々田雅子 訳『ブルー・ベル』を読み始める/一行目はいかに書かれるか

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 作家は読者を、小説の世界に引きずり込まなければならない。
第一行、第一章がいかに書かれるかが問題だ。

 アンドリュー・ヴァクス/佐々田雅子 訳の第一作『フラッド』は、
< その朝は早めにオフィスに着いた>と始まり、
第二作『赤毛のストレーガ』は、
< それは一人の子どものことから始まった。>であり、
第三作『ブルー・ベル』は、
< 春はこんな町の片隅にもやってくる。>と始まっている。

 わけの分かってない読者をいきなり小説世界に引き入れ、徐々に
世界の姿を見せてゆく。
 というのが一般的な小説の書き方で、一行目に続く二行目は第一行を
受けて書かれ、以下、順接であれ逆接であれ、直前の行の余波・影響を
受けながら記述されてゆく。

 エンタテインメントやジャンル小説は、作者と読者の馴れ合いなしには
成立しない。読者は作者の示す世界に慣れ親しみ、またお気に入りの登場
人物たちに会えると期待し、作者もそれに応えようとする。
 が、シリーズの途中から読む読者もあるから、登場人物のキャラクターや
場面設定は繰り返し(くどくならないよう気を遣いながら)描写され、異なる話
の色づけや息抜きの場面に有効に使われる。とくに、こういう幼児虐待がメイン
プロットの物語では、息抜きシーンは不可欠だ。

 主人公バークの食事するところであり、連絡先である中華料理店のママ・ウォンは、
だから今回も、部外者・よそ者(の観光客)を撃退するために、
< 「うちじゃ、みんな、煙草吸います。コックたちも吸います。グルタミン酸ソーダ
 たっぷりです。アメリカン・エキスプレス駄目です」>(p46)と宣う。

 第一作『フラッド』では、
<観光客に評判になって、店に人が詰めかけ、商売を荒らされるのを、ママは
 いつも恐れてる。"ニューヨーク"誌のグルメ評論家がくるという情報が入った晩、
 おれはたまたま店にいた。評論家と連れの女に出されたのは、ぷんと臭う犬の肉
 みたいなものにコーヒーまがいのソースをぶっかけた代物だった。それでも、店の
 雰囲気がそのおっちょこちょいの気に入って、トレンディー好みの阿呆どもに
 おすすめしたりするんじゃないかとママは心配だった。>
__から、さらに乱暴狼藉を加味して追い出したが、
<それから何週間か、おれたちは注意して評論に目を通していたが、ママの店の
 ことは何も出てこなかったので、ほっとしたものだ。>(p51)

     (アンドリュー・ヴァクス/佐々田雅子 訳『ブルー・ベル』
     ハヤカワ文庫 1995初 J)

5月11日に少し続く~





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by byogakudo | 2016-05-09 22:17 | 読書ノート | Comments(0)


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