猫額洞の日々

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2016年 05月 27日

板橋雅弘/岩切等 写真『廃墟霊の記憶』読了

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 1992年にマガジンハウスから『失楽園物語』というタイトルで
出版された紀行文+写真集を、
<いま[注:2001年]となっては不要と思われるものを少し削除し、
 かわりに新たに加筆と加写してできた>(p189)文庫本であり、
<10年早すぎた本が、今度は「廃墟ブーム」とやらに乗って多くの
 人の目に触れるといいなあと願いつつ。>(p190)刊行されたらしい。

 バブル経済は1991年2月に潰れたが、不況が一気に日本中に波及した
訳ではない。大きなクラックがいくつか、そこから少しずつじわじわと
綻びが広がり、やがて底なし沼の様相を呈し、いまに至る。(だって
底なし沼だもの。)

 92年当時では、ずっとこのまま放置されそうなにおいを放つ事象・物件
"廃墟"であったが10年も経つと、なし崩しであれ、風景は変わる。
 壊され更地になり、廃墟ですらなくなったり、崩壊度が加速していたり、
廃墟のその後の姿もレポートされる。

 ひとが利用・使用するために、ひとの手と意志で作られた建物や設備が
利用されなくなり、忘れ去られたまま時が経つと、モノはたんに"経年劣化"
では済まされない存在になる。
 "自然"と称される風景に対峙しても、ひとは自画像を見出す。J・G・
バラードに倣ってテクニカル・ランドスケープと言うべき人工物に、
時間が降り積もると、それは、ひとに歪んだ自画像を見せる鏡に変わる。
わたしたちは、自惚れ鏡だけを好む者ではない。より偽悪的肖像画に
惹かれもする。
 バロックなナルシシズム。

 廃墟の記述は、あくまでも淡々と行われるが、写真もまた同じ姿勢で
あってくれたら、と思う。わたしの好みに過ぎないが、もっとフラットな、
思い入れを感じさせない写真のほうが効果的ではないか?
 "ホラー文庫"というジャンルに合わせて、おどろおどろしさを強調する
編集姿勢があったのかもしれないけれど、わたしにはコントラストが
強過ぎる。
 もっとも、文庫版に写真を入れることが、そもそも難しい。もっと大きい
紙面・サイズでないと、写真は、まるで違う意味内容を発現したりしてしまう
ことがあるから。

     (板橋雅弘/岩切等 写真『廃墟霊の記憶』
     角川ホラー文庫 2002初 帯 J)


 上の写真は、5月12日(木)、渋谷区東三丁目近くで。
 近代建築の寿命は短い。スクラップ&ビルドの宿命を自覚して、そこを
表現してみました、って言いたそうなポストモダーン・ビルだった。礎石
には<建築は短く、人生も短い>と刻まれていたかもしれないが、そこまで
確認しなかった。





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by byogakudo | 2016-05-27 21:34 | 読書ノート | Comments(0)


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