猫額洞の日々

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2016年 05月 30日

大井康介『紙上殺人現場 からくちミステリ年評』、まだ1962年

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~5月4日の続き

 思い出しては読んでいるが、なかなか進まない。あらすじさえ
分からないミステリが取り上げられているので、やはりそれは
ハンディになる。

 我身をふりかえって、不肖・わたくしもダイジェスト抜きで感想文を
書くことが多い。
 弁解するなら、これは、どんな話か知りたければ、webにいくらでも
情報がある時代なので、そこを省いてということだけれど、読む側から
したら、迷惑なことだ。ストーリーを知るために、わざわざ、web検索
するかしら? しないでしょう? かくて、一読しては訳の分からない、
薄ぼんやりした感想文だけが残る。
 反省する。反省したからとて、すぐ実行にはならないけれど。

 やっと半分近く、1962年度までクリア。
 しかし、ひとり・ボケとツッコミ(対話体)で批評を書くのは、思考
の流れの記述でもあるので、書く側は書きやすいかもしれないが、妙に
古風な印象を与えることがある。澁澤龍彦のエッセイで、このスタイル
を目にしたとき、むかし臭さが感じられて、これは意識的選択なのか、
無意識的・安直スタイルなのか、判断に困った。(なつかしくて対話体
で書いた、という解釈もできるか。)

 『1962年の現場 7月』より引用。水上勉の『若狭湾の惨劇』について、

< "吉田健一にタキつけられてこのかた、水上は俺は普通の推理小説
 作家と一緒にみてもらいたくないと、野心を燃しているといわれる
 のは事実だろう。>(p154)

 吉田健一による水上勉・評は、どこに収められているかしら?

 『1962年の現場 9月』には三好徹『海の沈黙』__翻訳小説と
同じタイトルをつけるのは、いまに始まった訳ではないようだ__
では、日本でのカミュ『異邦人』論争に言及される。

<『異邦人』のムルソーは判事にまともに説明をするのが七面倒で、
 太陽のせいだとつっぱなすにすぎない。『海の沈黙』の主人公が
 誤解しているぶんにはさしつかえないが、作者は誤解していない
 だろうね。広津和郎がそうだったからね。余談だが代々木を通ると、
 野坂[注:昭如ではない]支持の立看板に広津和郎を見出し、やはり、
 戦時中、日本は戦争も世界一なら、文学も世界一と講演したという
 人だと思ったよ。そんな人と同じ解釈じゃ情けないや">(p165)

 戦争協力しなかった表現者のほうが圧倒的に多かったと思われるが
__だからアプレゲールは大人のいうことに、ともかく反抗したのでは
ないかしら?__。

 <判事にまともに説明をするのが七面倒で>という説がすごい。
 "異化効果"とか、そのころは知られていなかっただろうが"マクガフィン"
とか、真正面から"ギリシア悲劇的"とか、言えるだろうに。
 だけどわたしは、『異邦人』論争、未読。

     (大井廣介『紙上殺人現場 からくちミステリ年評』
     教養文庫 1987初 J)





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by byogakudo | 2016-05-30 14:45 | 読書ノート | Comments(0)


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