2016年 06月 21日

イーヴリン・ウォー/大久保譲 訳『卑しい肉体』読了

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 『20世紀イギリス小説 個性派セレクション5』は、イーヴリン・
ウォーだ。これを読んだら『ブライヅヘッドふたたび』に戻って、
その余勢を駆ってマックス・ビアボーム/佐々木徹 訳『ズリイカ・
ドブソン』に再挑戦、ついでにエリザベス・ボーエン/篠田綾子 訳
『ローマ歴史散歩』辺りへ飛ぶ、という読書ツアーを考えているの
だが、どうなることやら。

 もうひとつのコースもある。鹿島茂で、ほったらかしてある『蕩尽王、
パリをゆく』を読みつつ、『パリの日本人』と『パリが愛した娼婦』を
手にいれて読む、というもの。

 どちらもいつか実行するだろう、いつか。

 わたしは感傷癖ある日本人読者なので、イーヴリン・ウォーは追憶や
思いが素直に出ている、例外的な作風の『ブライヅヘッドふたたび』が
結局、いちばん好きなのではないかしら?

 イギリス式のブラック・ヒューマーは、たとえばモンティ・パイソン
には大笑いするけれど、小説の形で読んで、心から楽しんでいるかと
いうと、そうじゃない。頭で面白さは理解するけれど、身体で笑っては
いない。

 『衰亡記』や『卑しい肉体』は、むしろ今の若い人々の方がピンと
くる小説ではないか。

 時代と場所は、第一次大戦と第二次大戦との中間期のイギリス。
主人公は若い作家だが、パリから船で戻ってきた途端、税関で、
書いたばかりの自伝・原稿を取り上げられ、いわば過去を失った男
として作中を放浪する。友人たちと、どんちゃん騒ぎしながら。

 華々しい過去は主人公たちが誕生する前に終わってしまった。
未来はおぼつかない。若い連中だけでなく、大人や老人たちも
ばか騒ぎに耽る。
 現在をスピーディに消費することで、現在を過去形に押しやり、
その反作用で未来も素早く招聘されると、無意識に考えるの
だろうか。

 終わってしまっている、という感覚、あらかじめの喪失感は、今の若い人々
にとって、もはや意識にも上らない既定事項かもしれない。わたしがかつて
若い女だった頃感じていたよりもっと痛切に、世界からの解離感が感情の
基盤に刻印されていそうだ。

 コンピュータは現在の規定・インフラであり、もうそれがない世界は考え
られない。未来もじつは決定済みで、自分はこれかあれかを選ばされるだけ
の存在だと感じるのは、居心地よいものではない。これもあれもいやだった
ときの選択肢がない世界では、ばか騒ぎして乗り切ろうとした先達を思い出す
のもよいだろう。
 近代は、何度となく反復されるが、肉体である限り、完璧なコピーである
分身は存在しないのだから。
 少しちがう。大いにちがう。

     (イーヴリン・ウォー/大久保譲 訳『卑しい肉体』
     新人物往来社『20世紀イギリス小説 個性派セレクション5』
     2012初 帯 J)





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by byogakudo | 2016-06-21 23:51 | 読書ノート | Comments(0)


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