2016年 08月 07日

池田弥三郎『私の食物誌』読了

e0030187_19535642.jpg












 写真は、東上野三丁目で。部外者は入らないでくださいという意図が、
道路に面して置かれた篩で示される。手元にあったから使ったまで
だろうが、赤いコーンなんかよりエレガントで、しかも効果的。

 『私の食物誌』は、東京新聞に連載された食べ物をめぐるコラム集。
一日・一章(一回に800字)、週に六章、300章余の連載だった。
 加筆して河出書房から単行本(1965年)、更にゆまにてから新修本
(1976年)、角川書店の『池田弥三郎著作集』に収められた後、新潮
文庫より刊(1980年)。
 池田弥三郎は1982年没なので、最晩年の仕事のひとつだ。

 食べ物とそれが食されたころの話、食べ物に関する言語学的あるいは
民俗学的言及が記される。新聞連載だったので、池田弥三郎が子ども
のころ食べた何かについて記憶ちがいがあると、すぐ同時代人の読者
や友人たちから指摘があり、訂正記事を出す。アナログ時代なので瞬時
とは行かず時差があるが、呼応性あふれた、読者に愛されたコラムだった
ようだ。
 
 戦争中の食べ物の話が、わりとよく出てくる印象だ。1960年代前半、
オリンピックをやるところまで復興してきたが、生活のレヴェルが戦前に
近いところまで回復すると却って、食べ物のなかった戦中・戦後すぐの
頃が思い出され、読者もまた、まだまだ忘れられない、という呼吸だろうか。
 8・15は『赤いそてつ』、8・16『バナナ』と続く。

< 琉球の宮古島で終戦になって、いつ帰れるとも知れぬあてのない生活
 の中で、
 [略]
 [注:そてつの実の]色つやの誘惑に負けて、ひそかに食べた兵が一晩中
 苦しんだので、たしかに毒であることが証明された。
  だから、たべられそうなものの、何一つとしてなくなった島の自然の中に、
 そてつの実だけは、真っ赤にうれて、食欲をそそっていた。>
(8・15『赤いそてつ』p274)

< 島に進駐した当初には、バナナがなっていて、わたしたちはむさぼりくった。
 まる三年の満州ぐらしのあとのことで、それはむしょうにうまかった。しかし、
 たちまちにとりつくしてしまって、次にはその木を切り倒してにてたべてしまった。
  とりつくしたと思っていたバナナを、終戦後のある日、部落の家へ遊びに行った時、
 そっととりだしてきて、たべさしてくれた。さつまいもばかりたべていたわたしには、
 こんなうまいものがあったのかと思うほど、うまかった。>(8・16『バナナ』p275)

 他にも(ちがう角度から)引用したくなる箇所があるので、たぶん明日も続く。
 
     (池田弥三郎『私の食物誌』 新潮文庫 1980初 J)

8月8日に続く~





..... Ads by Excite ........
[PR]

by byogakudo | 2016-08-07 21:59 | 読書ノート | Comments(0)


<< (続)池田弥三郎『私の食物誌』...      あつい、あつくるしい >>