2016年 09月 08日

日下三蔵 編『怪奇探偵小説名作選4 佐藤春夫集 夢を築く人々』半分

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~8月26日より続く

 たぶん半分くらい読んでいる。カタカナ書きで綴られる『陳述』と、
その次の次、『アダム・ルックスが遺書』をパスした半分強、読んで
いるので。

 戦前に生まれていたら、最初に習う仮名がカタカナだろうから、
地の文にずらっとカタカナが続いても、そのまま読んでいくのでは
ないかしら。電報文や昔の調書やらのカタカナ書き文章が、さっさと
読めない。平仮名を先に習ったせいだと信じているのだが。

 『陳述』は全編、カタカナ・漢字混じり文だ。ルビに用いる以外、
平仮名は存在しない。カタカナでほぼ全面を覆ったおかげで、粘着質な
被疑者の陳述であることが、視覚効果的に示される。
 だからこれを読みやすくと思って、平仮名化なんぞしようものなら、
視覚効果ゼロ。だけど読み疲れるので、少しずつ蚕食読みする。

 再読になる短篇もパスしているが「オカアサン」を、ふと再読した。
一篇を流れる時間が豊かだった。こんな話だったっけ?!

 主人公(作家らしい)が、成鳥の鸚鵡を飼うことになった。前の飼主宅
で覚えた言葉、
<「ロオラや」>などから、以前の飼主の家庭状況を推理していく。

 鸚鵡が子どもの泣き声の真似をすることから、子を亡くした悲しみが
募るので成鳥を手放したのではないかと、作家的想像力が羽ばたく。
 そういう気の利いた話、という印象だったが、そうじゃない。ひとも
動物も、生命はふだんに移ろってゆく存在だという、最後の数行がキメ
だろう。

<ただわたしが時々心配することは、ロオラが完全にわたしたちの
 家庭になついた頃には、わたしの家には子供がいないのだから、
 ロオラは子供の真似を忘れてしまい、しかもその頃になってわたしの
 想像する寂しい夫人は、年月とともに愛児を失った真実の悲しみが
 少しずつうすらぐとともに、せめてはその児のなつかしい追憶のために、
 その子の声の生きうつしのロオラに逢いたいと思いはしないだろうかと
 いうことです。しかもそのロオラは、わたしのところで今は別のロオラに
 なりつつあるのです。>(p137)

 時間の揺らぎと重なりとが、きれいな短篇だった。
 主人公に鸚鵡を仲介する"仙人"と呼ばれる男の存在は、はて、どう位置
づけするのか? 彼自身が爪の長い鳥の化身みたような男だ。

     (日下三蔵 編『怪奇探偵小説名作選4 佐藤春夫集 夢を築く人々』
     ちくま文庫 2002初 J)


 さっきちょっと外に出た。風に乗って細かい雨粒が流れ、三日月が顔を出す。
夜でも天気雨というのかしら。





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by byogakudo | 2016-09-08 21:45 | 読書ノート | Comments(0)


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