2016年 11月 04日

(1)ロバート・キャンベル(R・ライト・キャンベル)/石田善彦 訳『L.A.で蝶が死ぬ時』1/3

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 さあ、ヤマカンは当ったのかな? ニューオーリンズとハリ
ウッド、両方が舞台になる(たぶん)ハードボイルド・ミステリ。

 短い章毎に舞台や登場人物(わりと多い)の動向が伝えられ、
次の次の章辺りで前々回の出演者が再登場したりすると、これは
誰だったっけと、主要登場人物欄を参照する。各章がもう少し
長めのほうが人物を覚えていられていいのだけれど、場面転換
の効果からいうと、この短いショットが利くのだろう。
 原作者ロバート・キャンベルは脚本家だったそうで、映画の
語り口ではある。

 ニューオーリンズでは死体の首が登場し、胴体はLAで発見
される。主題はおそらく病めるアメリカ、1980年代。悪役として
登場する連中が関わるのは、ポルノ産業と小児性愛。1980年代
以降のアメリカには、これしかなかったのかと思うほど、近ごろ
読んでいるアメリカの80年代、90年代ミステリの二大テーマだ。

 古風な名探偵が謎解きする戦前の本格ミステリ等を読んできて、
それ以外に何かないかと探し、ニュー・ハードボイルドを読み始め、
やっと20世紀末までたどり着いた。21世紀の今でも、街の探偵たち
の物語は書き継がれているのだろうか?

 原作が1986年、日本語訳が87年刊。もう30年くらい前のミステリだ。
これくらい時代がつくと(日本庭園じゃあるまいし!)、距離が取れ、
安心して読んでいられる(?)。

 30年間で日本語の感覚も変化した。
 LAの<みすぼらしいコーヒー・バー>(p26『第3章』)は、今なら
"カフェバー"と訳され、ナカグロも外されるだろう。

 うまい話を探してパーティに顔を出す男は、
<カマー・バンドにポケット・ベルをつけていた。[略]
 このポケット・ベルはポケットのなかのスイッチで鳴らせるように
 なっていた。彼はこれを、会話をつづけたくなくなったとき中断
 させたり、時間の浪費とわかったパーティを退出するための道具
 として利用していた。>(p57『第5章』)

 遂に縁がなかったポケット・ベル。携帯電話にも縁がなく、
義母のPHSを借りて使い、スマートフォンも未知のガジェット。
 それでもパソコンにはしがみついて、21世紀初めが過ぎた。

 日本語の変化ではないが、ニューオーリンズ編に"ボーシェ"と
呼ばれる娼婦が出てくる。
<"ボーシェ"というのは、口をあらわすフランス語である。>
(p127『第9章』)
 ブーシュだろうと思ったが、シャルル・ボワイエがチャールズ・
ボイヤーになる(都筑道夫で読んだ)アメリカだから、ボーシェ
でいいのかな?

     (ロバート・キャンベル/石田善彦 訳『L.A.で蝶が死ぬ時』
     二見文庫 1987初 J)

11月7日に続く~





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by byogakudo | 2016-11-04 16:54 | 読書ノート | Comments(0)


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