猫額洞の日々

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2016年 11月 19日

(2)芥川龍之介『大川の水・追憶・本所両国』読了

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~11月16日より続く

 子どもの頃を思い出して記される『追憶』は、それぞれの記憶が
タイトルとして使われる。

 『埃』は、最初の記憶。大工さんが玄能で天井を叩いて、ぱっぱっ
ぱっと、埃が出る場面の記憶だ。
 <数え年の四つの時>(p71)とあるから、3歳くらい? 言葉を覚え
出してようやく、記憶が発生する。

 『郵便箱』を全文、引用する。
< 僕の家の門の側には郵便箱が一つとりつけてあった。母や伯母は
 日の暮になると、代る代る門の側へ行き、この小さい郵便箱の口から
 往来の通りを眺めたものである。封建時代らしい女の気もちは明治
 三十二三年頃にもまだかすかに残っていたであろう。僕は又こう云う時
 に「さあ、もう雀色時(すずめいろどき)になったから」と母の言ったの
 を覚えている。雀色時と云う言葉はその頃の僕にも好きな言葉だった。>
(p76)

 横溝正史で初めて読んだ「スズメ色のたそがれ」だが、昔からの
言い回しだったのか。
 (前に書いたかもしれないが)お茶の葉をけちって薄く出たのを、
"お茶屋の前を飛行機で通ったような"と祖母が言っていたが、これも
何かの随筆で同じ表現を目にした。ある時代のありふれた言い回しでも
時が経つと、耳に新しく響く。

 『宇治紫山』は、そういう名前の一中節のお師匠さんの話だ。
 彼はお蔵前の札差しの身上をつぶした挙句の果てで、
<小さい借家にいても、二三坪の庭に植木屋を入れ、冬などは実を
 持った青木の下に枯松葉を敷かせた[略]>り、
晩年、雪道で転んでも、
<やっと家へ帰って来ると、「それでもまあ褌だけ新しくって好かった」
 と言ったそうである。>(p80)

 『宇治紫山』の次、『学問』は、そのお師匠さんの一人息子に、
<英語と漢文と習字を習った。>話だけれど、
<しかしそれよりはっきりと僕の記憶に残っているのは何かの拍子に
 「お師匠さん」の言った「誰とかさんもこの頃じゃ身なりが山水
 (さんすい)だな」と云う言葉である。>(p80-81)

 "身なりが山水"。初めて知ったが、感じはなんとなく伝わる。

     (芥川龍之介『大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ』
     講談社文芸文庫 1995初 J)





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by byogakudo | 2016-11-19 15:58 | 読書ノート | Comments(0)


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