2016年 11月 25日

ロバート・キャンベル/東江一紀 訳『六百ポンドのゴリラ』読了

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 写真は西荻窪で。実際は、こんなに(J・G・)バラーディスクではない。

 シカゴの民主党員で27区の班長、ジミー(ジェームズ)・フラナリーの
物語、2冊目。

 寒波がシカゴを襲う。動物園の暖房設備が壊れる。ジミーは人気者の
ゴリラの保護施設を考えるよう上役たちに言われて、民間のサウナを提案
する。彼は、地位にしがみつきながらも責任は逃れたいと考える連中から、
便利屋扱いされやすい。
 ところが、ゴリラの檻が設けられたサウナの一室に、殴り殺されたゲイの
カップルの死体が見つかり、ゴリラも怪我をしている。
 この事件に、ジミーと同じアパートメントの東方正教会信者の死体__
こちらは病死__の復活(?)騒ぎと、市議会議員選挙の話が点綴される。

 政治システムが形骸化し硬直化しているのを認識しているジミーだが、
< 「現状を維持しながら、悪いところを少しずつ直していこう[略]」>
(p105)と、彼は考える。
< 「新しい塔を造りあげるまでの間、誰が市政を運営していくんですか?」
 [略]
  「[略]少しでも街の動かしかたを知ってる人たちが必要になります。
 列車を走らせたり、水をくみ出したり、家を暖めたり、ごみをかたづけ
 たり......」>(p104-105)

 第一作に続き、上役や街の実力者の利害にまみれた妨害をかいくぐって、
ジミーは正義を何とか通す。

 まあ、そういう話ではあるけれど、本筋に絡む小さなエピソードがいい。
 元消防士の父親は息子と別々に住んでいるが、息子が恋人と暮らし出したら、
毎晩のように息子宅を訪れて夕飯を一緒にするだとか、すたれた商店街での話
とか__

<商店街と呼べる通りは三ブロックしかないが、夫婦だけでやっている
 ような小さな店はあちこちに点在している。雑貨屋、菓子屋、何でも屋
 ......。>(p122)
 そんな中の一軒の菓子屋(兼あれこれ屋)は、30年前、ジミーが子ども
のころに行っていたリプシッツ夫人の店みたいだ。

< 僕は、今は時効になってしまったささやかな詐欺行為を思い出す。
 まず、五セントでチェリーかヴァニラのソーダを買う。それを半分ほど
 飲んだところで、甘すぎると文句を言う。すると、リプシッツ夫人はソーダ
 を足してくれる。また半分飲んだところで、今度はシロップが少なすぎると
 文句を言う。リプシッツ夫人はシロップを入れてくれる。また半分飲んで
 ......。そのうち彼女は悪知恵に気づき、怖い顔をして、僕を店から追い出す。
 大昔の話だ。>(p123)

 昔を思い出させるこの店でも、
< 「チェリー・ソーダを作ってもらえますか?」
  「プレーンでいいのかい?」
  「ええ、五セントのプレーン」
  「五セントのプレーンは三十五セントだよ」
 [略]
 老婦人がにこにこして立っている。たぶん、僕が五セントのプレーンを覚えて
 いたからだろう。
  グラスの半分を飲み終えて、僕は言う。「ねえ、このソーダ、ちょっと甘すぎる
 んだけど」老婦人はグラスを取り、少量のソーダを足してくれた。>(p124)

     (ロバート・キャンベル/東江一紀 訳『六百ポンドのゴリラ』
     二見文庫 1989初 J)





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by byogakudo | 2016-11-25 21:29 | 読書ノート | Comments(0)


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