2016年 12月 04日

(2)丹生谷貴志氏のツイッターより

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 丹生谷貴志氏・ツイッターからの引用。

<かつて知人が「ポストモダン哲学って要するに日本的じゃん」と言い、
 その言い方には根本的な不正確があって議論に苛立ったが一方で、
 以降現在に至るまで「西欧哲学」が妙な具合に極東的感覚(?)に
 「馴染み深い感じ」になってきているというのは必ずしも間違っては
 いない気もする。よかれ悪しかれ。>
(15:57 - 2016年12月2日
https://twitter.com/cbfn/status/804837016235933696)

<・・・仮に、美を「美」から解放し道徳を「徳」から、形而上学を
 「形而上学」から、真理を「真理」から解放し、造物主を「造物主」
 から解放し被造物を「被造物」から解放しetc・・・が20世紀以降の
 西欧思想の企画であったとすれば、それは「私たち」が「持っていた
 もの」と「似て」はいる訳だ。>
(21:27 - 2016年12月2日
https://twitter.com/cbfn/status/804919924233670656)

 日本語の絆創膏的・融通無碍性が、これの土台?





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by byogakudo | 2016-12-04 11:23 | 読書ノート | Comments(0)


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