猫額洞の日々

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2016年 12月 11日

(1)飯田泰三・山領健二 編『長谷川如是閑評論集』再読(たぶん)中

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 7日(水)に続いて、じつは一昨日(9日・金曜日)も高円寺に行った。
「アニマル洋子」が開いていた! ので、文庫本4冊。

 長谷川如是閑(ときどき起こるおじいさん趣味)の岩波文庫は、たしか
店を始めて間もない頃(?)読んでいるような気がするが覚えてないし。
 他に鮎川哲也『下り"はつかり"』、保育社カラーブックスの『トランプ_
カード遊び入門』とハインライン『宇宙の戦士』。

 店頭でぱらぱら読んだのが、第二部『国家の進化と愛国的精神』の
『一 日本人と愛国的精神』冒頭部分。

< 愛国的精神といえば、哲学的にも、法律的にも、倫理的にも一も二もなく、
 肯定さるべきものという風に教えられ覚え込まされている人々は、この自明の
 理に向って、更らに考察する必要が何処(どこ)にあるかを訝(いぶか)るであろう
 が、それほど解っているらしい愛国的精神なるものは、殊にその精神の独占者
 であるが如く自信している日本人においてさえ、実は最近の産物で、一、二代
 前の私たちの祖先には、決して自明的に解っていた精神でもなければ、忠実に
 守られた精神でもないのである。
  封建時代の武士は、画(え)で見ると、悉(ことごと)く一廉(ひとかど)の愛国者
 でもあったかのような面魂(つらだましい)をしているが、その実(じつ)彼らほど
 愛国者でなかったものはない。彼らは、自己の事(つか)えている主君に対しては
 殆(ほとん)ど無条件の従順と愛着とを捧げていたのであるが、国家というものに
 対しては、殆ど没交渉であったのみならず、国家ということの普通の理解すら
 欠いていたのである。それは元来、彼らに日本という観念を強く抱(いだ)か
 しめる動機も刺戟(しげき)もなかったからである。従って彼らは殊(こと)に
 日本国を愛する必要を感じていなかったのである。いなむしろ日本国とは
 如何(いか)なるものであるかさえ、明確には意識していなかったのである。>
(p99-100)

__この文章が発表されたのが1920年(大正9年)。安倍晋三の類いは、長谷川
如是閑を読んでいるだろうか?

 如是閑自身は、
< 私は出来るだけ、私の立場と反対のものを先(ま)ず読むことにしている。
 だから私の場合は「悉く書を信ずれば」などという心配は絶対にないので、
 頭から「ことごとく書を信ぜざれば」なのだ。しかし反対の立場のものを
 読むことは私の立場を構成するために絶対必要の先決条件だから、「書なきに
 如かず」でなくして「書あるに如かず」だ。丸呑(まるの)みにするところさえ
 なければ、書物はいくらあっても差支(さしつか)えないものだ。>
(第一部『私の書斎と読書法』 p68)

     (飯田泰三・山領健二 編『長谷川如是閑評論集』
     岩波文庫 1989初 J)

12月13日に続く~





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by byogakudo | 2016-12-11 19:53 | 読書ノート | Comments(0)


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