猫額洞の日々

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2016年 12月 13日

(2)飯田泰三・山領健二 編『長谷川如是閑評論集』再読(おそらく)中

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~12月11日より続く

 第二部『快楽的労働論を排す』で手こずる。

< 私の知る労働者の多くは、労働は苦痛であるといい、私の知る
 学者の多くは、労働は快楽でなければならないという。前者は、
 現に自身が体験している現実の労働についていい、後者は、何人
 (なんぴと)も体験していない理想の労働について言っているので
 あるが、
 [略]
  私は嘗(かつ)て、労働を芸術化するという浪漫(ロマン)的な観方の
 空想であることを説いて、人類の生活における労働の必至的な役目は、
 そういう状態を実現せしめることの不可能なる所以を論じたが>
(p127-128)と、始める。労働することの実態から離れずに考えて行って、

< 労働者の解放ということは、労働からの解放を意味するものでもなけ
 れば、労働の苦痛からの解放を意味するものでもない。労働は依然として
 全人間の上に、苦痛の形で荷負(かふ)されるであろう。その苦痛を負担
 するものが、[略]即ち人間中の人間として認められれば好いのである。
 [略]
 最も多く楽をしているものたちが最も有力である社会は、能(よ)く考えて
 見るまでもなく、随分訝(おか)しな社会である。これに反して、最も多く
 苦痛を負担しているものが最も有力である社会は、さもあるべき社会で
 ある。>(p148)と、結ぶ。

 解ったような解らないような気分になるのは、この文章が発表された1920年
と現在とでは、労働状況(労働の質と量)が変わり過ぎているからだと思う。

 "あれも人の子 樽拾ひ"という酒屋の丁稚や、下駄の歯入れ、鋳掛屋、細々
した職業はすでに絶滅した。工場労働も対面販売の場でも、機械化が進む。
人手は不要になる。
 きちんと論旨の展開を読もうとするが、現在の映像ばかり頭に浮ぶ。ほとんどの
職種が存在しなくなる近未来像に圧倒されて、それどころじゃないと、しか思え
なくなる。

     (飯田泰三・山領健二 編『長谷川如是閑評論集』
     岩波文庫 1989初 J)

12月23日に続く~





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by byogakudo | 2016-12-13 16:36 | 読書ノート | Comments(0)


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