猫額洞の日々

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2016年 12月 25日

(4)飯田泰三・山領健二 編『長谷川如是閑評論集』ほぼ読了

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~12月23日より続く

 第二部の『孔子と老子』を残して、ほぼ読了。契約国家論とか
につながる評論なのかしら? いつか読むだろう。

 第三部『傾向及批判(抄)』の『滑稽な中等教育の要旨』より引用。

 第一次大戦が終わり、日本でも軍備を縮小せざるを得なくなる。
軍人が余る。学校で軍事訓練を行うようになり、失業した軍人の、
いわば失対事業が始まる。

< 階級生活の産み出した観念の重大な錯誤の一は、彼らの生活
 組織には超越的の絶対理法があって、一切の制度組織はすべて
 その理法に依従(いじゅう)すべきであると信じて、頻(しき)りに
 それを求め、それに拠(よ)らんと企てることである。
  この不思議な焦慮は、彼らの組織が、彼らの生活自体に内在する
 矛盾のために行(ゆ)き詰(づ)まりの状態に達すれば達するほど
 烈(はげ)しくなる。だから組織が末期的になると、何かしら、哲学
 的な、宗教的な、抽象道徳的な、精神統一的な、神秘作用が、
 その組織の行詰まりなり動揺なりを、打開し、安定せしめるかの
 如くに考えて、益々(ますます)内容の空疎な抽象観念が高調される。
 [略]
 頗(すこぶ)る実際的な[略]方面にまで、そういう観念的態度をもって
 行くことは誠に滑稽(こっけい)に見える。たとえば教育のような、[略]
 どこまでも実際的であらねばならぬ組織にまで、末期的な呪術(じゅ
 じゅつ)(おまじない)式方法を応用せんとするに至るのは笑止千万
 (しょうしせんばん)である。
  今度文政審議会に提出されるとかいう中等教育に関する文部省の
 改善案なるものにも、その悲しむべき現象が鮮明に反映されている。
 [略]
  その第一項は、[略]中等教育の要旨は「道徳教育」にあるとする。
 [略]教育を呪術と解する末期的精神に外ならない。それは今日までの
 教育が、現代社会の必要によって現在の如くに発達したにかかわらず、
 社会それ自体の組織の欠陥のために、その効果が挙らないことを、
 「道徳」によって矯正せしめんとするのであるから、丁度(ちょうど)、
 腹痛の治療を説教に求めんとするようなものである。
 [略]
 今日までの中等教育の欠陥が、建国の本義や国体の尊厳や忠孝の
 大義や等々の徹底しないためだと考えているものがあったならば、
 それは[略]枢密院(すうみついん)あたりの隠居(いんきょ)であろう。
 [略]
 今現に、組織の内的矛盾のために教育が行詰ったのを如何(いか)に
 すべきかという実際的の問題の起っている際に、建国の本義や国体の
 尊厳やをもって中等教育の「要旨」であると叫ぶのは、[略]時と場合を
 弁(わきま)えざるの甚(はなはだ)しきものである。それは丁度、「明日
 からどうして飯を喰(く)おうか」という問題の起っている時に「カント
 の哲学こそ生活の本義である」と怒鳴るようなもので、カントの哲学が
 間違いでないということをもって、その馬鹿らしい提言を馬鹿らしくは
 ないというわけには行くまい。>(p248-250)

 この文章が書かれたのは1928年。歴史は、頭痛と吐き気をもたらす
ような頭の悪い繰り返しを、何度でもする。


      (飯田泰三・山領健二 編『長谷川如是閑評論集』
     岩波文庫 1989初 J)





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by byogakudo | 2016-12-25 22:39 | 読書ノート | Comments(0)


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