2017年 01月 22日

(1)久生十蘭『久生十蘭「従軍日記」』を読み始める

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 写真は善福寺川緑地のプラタナス。今日もこの近くを歩いた。

 昨夜から久生十蘭『『久生十蘭「従軍日記」』を読み始める。
この後に、一ノ瀬俊也『明治・大正・昭和 軍隊マニュアル 人は
なぜ戦場へ行ったか』を読めば、作家と普通の人々との従軍に
対する姿勢の違いなり何なり、わかるかもしれない。
 戦前の日本の男は徴兵制があるから、男は何らかの形で戦争
に行くものだと、みんな諦念さえ自覚せずに、行っていたのかも
しれない。

 『第一章 日本・爪哇(ジャワ)
 (自 昭和18=1943年2月24日/至 昭和18=1943年4月22日)
 __ジャカルタ、ボゴール、ジョクジャ見物__』を読み出した
ばかりだが、日記らしい日記、記録文が続く。

 東京から飛行機で福岡、台北へ。台北からマニラまでの軍用機が
なかなか飛ばず、待機にうんざりしている。
 やっとマニラに着く。
<戦前は一流のアパート・ホテル>(p32)に泊まることになり、白服に
着替えて街を案内してもらう。
< 靴を磨かせ、生きかえったような気持になる。
  本式にホテルで食事をしたかったのだが、>(p33)日本人の案内者が、
そういう趣味のひとではなかった。
<女は[略]身体の格好はいいが顔立の美しいものは居らず、要するに
 土人面なり。ただ一人混血児だけは美しかった。>(p33)

 "土人"はこういう風に使われる言葉だ。沖縄に派遣された機動隊員は、
沖縄の人々を馬鹿にする言葉を吐いたのであり、それを擁護した連中は、
沖縄の人々は日本人ではない、馬鹿にしてよい存在だと思っていることを
自ら証明したのだ。
 わたしにとって日本人とは、日本語を母語として生きる人々を指す。米語を
母語とすればアメリカ人、英語を母語とするイギリス人、何人(なにじん)で
あるとは、それ以上の意味を持たない。
 わたしは黄色人種に属する東アジア人であり、雑種文化圏に生きる日系
日本人だ。"日本人"という純粋な血筋は存在しない。

 本文に戻る。久生十蘭は久しぶりに"街"の生活に戻って喜んでいる
のが分る。占領下ではあるが戦場ではない。だから街行く女たちに美を
求める。

 マニラからメナド(ラングアン)へ行く。そこで椰子の葉に包まれた
弁当を開く。
<納豆のつととよく似た形に包んだ椰子の葉のつとの中に鶏肉薄切の
 ソーテ、鮪、ゆで玉子二つ、むすび三つ、大根漬、それに青い小さな
 レモンが添えてある。心づかい凡ならず、親切な心がこもった仕方で
 ある。[略]
 昨夜、部屋のきたなさや、なじみのなさだけで不快を去り得なかった
 おれの心情を悔恨した。みじめなもの不潔さなど、表面的なものだけで
 すぐものの価値をきめ、その裏のこういう心づかいと見る目にも美しい
 手並みと風趣をもっている土人のよさを見抜けなかったのは浅薄である。>
(p39)


     (久生十蘭『『久生十蘭「従軍日記」』 講談社文庫 2012初 帯 J)

~1月23日に続く~



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/





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by byogakudo | 2017-01-22 20:44 | 読書ノート | Comments(0)


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