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2017年 02月 09日

(5)河盛好蔵『回想の本棚』再読・読了

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~1月29日より続く

<先年、例の五月革命のとき、偶然パリにいた私は、一切の
 交通機関がストに入ったために、実に往生した。しかしホテル
 にばかり閉じこもっているわけにもゆかないので、足にまかせて
 パリの町を歩きまわっているうちに、歩きくたびれて休息したく
 なる時分には、必ずその近くに教会のあることに気がついた。
 [略]
 カフエで腰を下せばよいではないか、といわれるかもしれない
 が、[略]この歩きくたびれたあとで、深閑とした教会のなかで
 休むのは実に気持がよいのである。[略]時にはパイプオルガン
 の演奏をきくこともできる。堅い木のベンチに坐っていても、
 うとうとと眠りを催すことがある。そのときふと私の考えたのは、
 むかしヴェルレーヌが泥酔してパリの街路をほっつき歩いたあと、
 夜が明けると教会に飛びこんで神に祈ったという話を読んだこと
 があるが、それは信仰のためというよりも、二日酔をさますため
 ではなかったろうかということである。われわれがあたかも銭湯へ
 とびこむように。銭湯と教会を一緒にするのはおそるべき冒瀆に
 ちがいないが、銭湯というものは悩める魂にとって、ときとして
 教会に似た役目をしたのではあるまいかといいたかったのである。>
(p26『アンニュイの文学』『文学巷談』)

<こちらへ来ているうちに、私はかけがえのない大切な友人を二人も
 失った。渡辺一夫さんと、川口篤君である。とくに渡辺さんとは、
 五月革命の勃発した一九六八年に、三ヶ月ほどパリ生活を共にし、
 いろいろ親切にして頂いたので、渡辺さんのマンションのあった
 モンパルナス界隈を歩いていると、さまざまのなつかしい思い出に
 胸がいっぱいになることがしばしばであった。あの頃渡辺さんは
 ソルボンヌか東洋語学校で日本語を教えていられたが、その
 懇切な講義ぶりに学生がすっかり心酔し、ストライキの最中にも、
 渡辺先生の講義だけはつづけて欲しいと申し出たという話をきいた
 ことがある。>(p240『百年祭そのほか』『Causeries』)

< 伊藤[注:伊藤整]はまた梶井[注:基次郎]が「「ボオドレールは
 いいなあ、実にいいなあ」といふやうなことを大阪なまりの言葉で
 言ふのであつた。ボオドレールについて語るときの彼には実に青年
 らしい感覚の人としての面影があつて、私はその話の方を好んだ。」
 と書いている。私はこれを読みながら私もまた大阪弁で梶井とボード
 レールについて話す機会のなかったことを今更のように残念に思った。>
(p136『梶井基次郎と「冬の日」』『文学巷談』)
 
 関東圏出身のフランス文学者と、上方出身のフランス文学者とでは、
フランス文学の受容に違いが出るかしら? フランス語という他言語に
接する以前に、上方の生活感覚と関東のそれは異なるから、たとえば
両者それぞれが同じ作品を翻訳したら、ニュアンスが違って感じられる
だろうか? 日本語読者として、ふと思ったことだが。

< 私はフランス文学研究の町医者をもって自ら任じ、その代り、
 患者に親しまれ、頼りにされる医者になることを多年心がけてきたが、
 こんな学会[注:1975年度、日本フランス語フランス文学会]に出席
 してみると、新しい病源や、新しい治療法の発見を教えられて狼狽
 する町医者のような感慨を覚える。そして、このような文学的研究法
 が若い学者たちを風靡しているのは、ちか頃の文芸批評の難解なのと
 決して無関係でないことを痛感した。要するに私などは古くなったの
 である。それを知っただけでも久しぶりに出席したことは私にとって
 無意義ではなかった。>(p249『外国語五十年』『Causeries』)

 文学に触れる喜びにあふれ、河盛好蔵の文学への愛が伝わってくる
エッセイ集。このような幸福感は、もはや持ち得ないのかもしれないが。


     (河盛好蔵『回想の本棚』 中公文庫 1982初 J)



呪 吐爛腐/呪 心臓亜屁/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/

< 「それが何した。唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものなり。
 政治といはず文学といはず。」>
(p207『緑雨のアフォリズム』『Causeries』)





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by byogakudo | 2017-02-09 15:38 | 読書ノート | Comments(0)


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