2017年 04月 07日

(2)鴨下信一『忘れられた名文たち』読了

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~4月6日より続く

 『第一章』が野球や演劇・映画批評の名文に、"悪態文"。
 『第二章』は画家、新聞記者の文に、宗教書(説得文)、
取扱説明書。
 『第三章』、浮気小説に身の上相談、俳人・歌人の書く散文。
 『第四章』、口述筆記文、食に関する文、紀行文、天文エッセイ。
 『第五章』が翻訳文、学者の雑文や西洋文物・紹介者の文。
 『第六章』、方言で書かれた文、口頭語的コロキュアルな文体、
記述法の工夫・変遷(正書法)、戯曲作家の雑文。
 『第七章』、時代小説と"です=ます調"。

 こういったおおまかで緩やかな分類(インデックス)で、日本語
の書き言葉について考えてゆく。仮説を立てて立証してゆくのでは
なく、ふだん感じている事柄を軸にして思考の枝葉を増やすやり方
である。
 ホームページを作っていた頃の項目の増殖ぶりを思い出した。

 作家でないわたし(たち)でも、不特定多数を意識した文章を綴る
ことができる。思うように意図が伝わっているかどうかは、ともかく。
 (誰でも書け、)誰が読んでもまず理解できる平易な文体や記述法
(正書法)が定まったのは1960年代半ば以後である、という。

< 司馬遼太郎氏によると、現代口語の書きことばの標準的文体が
 定まるのは、昭和四十年ころだという。ここでいう標準の文体
 とは、それ一つで政治経済のことから身辺雑記まで書き表せる
 ような文体(スタイル)のことだが、[略]
 全員が同じような文体でものを書くようになったのである。
  同じく司馬氏によると、この標準文体は[略]正岡子規に至ると
 いう。[略]
 逆にいえば子規から、昭和四十年ごろ、つまりは日本で大衆社会と
 いうものが成立する年代までの長い間、わが国ではずいぶん種々
 さまざまな文体が同時に併存していたというわけだ。この文章の
 平均化は、テレビによる日本の文化の平準化が四十年代に完成する
 のと奇妙に符節をあわせている。[略]
  こうした標準文体の成立を助けたものの一つに<正書法>の整備
 がある。仮名づかいとそれにともなう漢字の制限・略字体の確定等
 である。>(p291-292『正書法1』『第六章』)

 "標準語"というのは、東京・山の手方言をベースに作られた人工語だ。
鴨下信一が下町っ子の木村荘八の『東京の風俗』から『花火の夢』を
引用しながら、

<一見してまったく標準語文体のようでいて東京下町の言いまわしが
 ずいぶん入っている。>
< ぼく自身が東京下町の育ちだから、この文章が東京方言風に書か
 れているのがよくわかる。[略]標準語の中に方言が隠れている例は、
 細かく見れば東京方言ばかりでなくさまざまあるのだろう。標準語の
 文化規制の問題とこの隠れ方言の問題は、いますこし議論されても
 よいような気がする。>(p253-254『方言1』『第六章』)

 こう指摘されても、根っから<標準語の文化規制>症候群なので、実感的
理解とはいかない。言われてみて、ああ、ここらかと思うくらいで。

 いま、いちばん日本語が読める媒体といえばwebだが、『忘れられた
名文たち 其の2』も出ているけれど1998年刊なので、まだweb日本語に
ついては考察されていないだろう。
 『第一章』に出てくる"悪態文"は可愛さ余って悪態をつくが、webに
そんな余裕(や愛嬌)はない。2ちゃんねる日本語とか、営業右翼・
保守ビジネス・ネット右翼等のひたすらな悪意文が目に余る。


     (鴨下信一『忘れられた名文たち』 文春文庫 1997初 J)



呪 吐爛腐/呪 亜屁沈臓/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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by byogakudo | 2017-04-07 22:50 | 読書ノート | Comments(0)


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