猫額洞の日々

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2017年 06月 11日

(1)松葉一清『集合住宅__二〇世紀のユートピア』を読み始める/(3)風太郎『秀吉はいつ知ったか』に追記

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 『まえがき 集合住宅にユートピアを求めて』より__

< 一九八〇年代以降、ポスト・モダンの流れのなかで、
 「集合住宅団地」は画一性を批判され、暮らしを無味
 乾燥なものに貶めた張本人と指弾された。
 [略]
 モダニストは「ユートピア」の夢を語らなくなった。
  ユートピアンに賛同してモダニズムは隆起したはずだ。
 多くの若い世代が、モダニズムの始祖たるル・コルビュ
 ジエを信奉したのは労働者住宅を手がける社会性に共感
 したからだった。そこを忘却し、モダニズムを純粋幾何学
 に根ざした建築理念として、専門の枠内に囲い込んで純化
 して継承しようとするのは、「森を見る力」をなくした
 「木の凝視」への逃避でしかあるまい。
  もう一度、集合住宅を手がかりに「ユートピア」を探そう。
 [略]
 「公共の後退」のなかで、「夢物語」こそが無気力の支配する
 現実を打破する力を秘めている。>(p009-010)

 『第1章 軍艦島』は職住近接、「社宅」の島である。25棟の
集合住宅が「都市計画」もなく、夢想家たちの「施し」「慈善」
でもなく、「技術」的に存在した。

<「三十号棟」が「鉄筋」に替えて、ワイヤーロープを解体して
 縒り合わせたものを使ったことが明らかにされている。これは
 海底炭坑の掘削・維持のための技術を、最初のコンクリート
 住宅建設に応用したもので>ある。(p030-031)

 いちばん低層で3階建て、最高層が9階建ての「社宅」には
エレヴェータがない! その代わり、
<屋外階段が、複数の鉄筋コンクリートの建物に取りつきながら
 昇降している[略]。
 もともと、きちんとした住棟配置の計画があったのなら、そんな
 ものなどつくるはずがない。
 [略]
  住民が悠々と行き交えるような幅広い半屋外の廊下もあれば、
 上下階を中庭の空間で結ぶ階段も執拗なまでに設えられている。>
(p033)

 都市計画はないけれど、技術と工夫がある風土、日本。
 
     (松葉一清『集合住宅__二〇世紀のユートピア』
     ちくま新書 2016初 帯 J)

6月26日に続く~


~6月10日より続く

 山田風太郎は『秀吉はいつ知ったか』で、歴史に関すること
だけでなく、都市の美についても何度となく語る。ヨーロッパ的
都市計画がない、ごちゃごちゃした街並を、彼は厭う。

 『今昔はたご探訪__奈良井と大内』の大内で、茅葺き屋根
の住宅群を見る。

< ただ、みものである茅の屋根群のなかに、近年変えたらしい
 赤や青のトタン屋根がいくつかある。プレハブの建て増しを
 やっている家もある。これが甚だ目ざわりであり、残念だ。>
(p281)

 茅葺き屋根に混じったトタン屋根は、わたしも目ざわりに感じる
だろうが、しかし東京なんぞの、ごちゃついた街並の中に在る錆びた
トタン板のもたらす哀愁は、悪くないと思う。むしろ好ましい。

 木造モルタルで夢見られる王国は永遠に、美に到達しようとする
意志の運動であり続ける、ともいえるし、丹下健三の電通ビルや
代々木第一体育館に見られる雄の意志と隣り合うにふさわしい、
日本的なるものではないか。
 左右対称を破り、不完全さを意図する日本の心性とも、図らずも
合致してしまう(じゃないか)。

 山田風太郎はヨーロッパ的・幾何学精神の持主だ。忍法帖は
二項対立的に存在する二つの勢力の争闘譚であり、後の明治もの
にしても二項対立の物語構造である。不完全さに、あるいは不足に
美を感じる日本的心性とは真反対な、完全美を求める。

 彼の子ども時代から青年期が戦争の時代であり、幼くして(若く
して)両親を失ったことが、規範秩序を求める思い、幾何学精神に
至ったのではないかしら、とも考える。


     (山田風太郎『秀吉はいつ知ったか』
     ちくま文庫 2015初 帯 J)



呪 吐爛腐/呪 亜屁沈臓/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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by byogakudo | 2017-06-11 21:32 | 読書ノート | Comments(0)


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