猫額洞の日々

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2017年 06月 12日

夢と香り__親密性(遁走性/再現性)

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 夢と香りは、親密性と持続の希薄さの点で似ている。

 悪夢のさなか、もう逃げ場がないところまで追いつめられる。
そこでやっと目が覚めて、自分が”そこ”にいるのではなく、”ここ”
にいるのを確認するが、夢の中での迫真性は疑いようもなく、夢は
"それを見ているわたし”という身体と、ほぼ一体化して親密である。
 だが、目が覚めてしばらくすると、親密さは急速に失われる。夢は
遁走する。夢は(言葉で)記憶された後、遠く希薄な、夢の記述に
変貌する。

 香りも在りようが似ている。むかし、パコ・ラバンヌの「カランドル」
をよく着けていた時期があった。香りを言葉にするのは難しいが、それ
自体は地味な印象の匂いである。
 しかし地味なタイプの女が身に着けるとき、香りの表情が変わる。
華やぎはないが、ひっそりと、だが静かに複雑さを伝える香りになる。
 そして、あんなに親密に身にまとっていた匂いも、時の経過が親密さを
奪う。夢と同じように、遠くうっすらとした香りの記憶、いまはここに
ない、逃げ去った、記述された記憶の中にしか存在しなくなる。

 夢をみる。これは以前、夢の中で来たことのある場所だと気がついたと
しても、まったく同一の夢をみて、同じ展開を取ることはあり得ない。
 かつての香りを嗅いだとする。そのころの”わたし”の記憶はあざやかに
甦るだろうが、いまの”わたし”の身体と親密な匂いになるかは分からない。
 "わたし"は、かつて若い女だった”わたし”の延長である身体を持つが、
まったく同一の身体ではないのだから。

 夢は遁走する。逃げ足が速い。"わたし"の夢の記述を読み返しても、
もはや他者の夢の記憶に等しい遠さだ。
 香りを嗅ぐ。あのときの記憶がまざまざと再現される。同じように
"身体"を場とする親密な行為なのに、この点で真反対を向く。
 これは言語化・可能域のちがいによるのか。



呪 吐爛腐/呪 亜屁沈臓/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/





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by byogakudo | 2017-06-12 20:08 | 雑録 | Comments(0)


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