猫額洞の日々

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2017年 06月 15日

山田風太郎『わが推理小説零年』読了

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 『IV 風眼帖』の『風眼帖 (8)』より引用する。
 『風眼帖』は、1971年~1973年にかけて講談社『山田風太郎
全集 月報』に連載された自伝的エッセイ。『風眼帖 (8)』には、
山田風太郎の(旧制)中学生当時のできことが記される。

< さて、母が亡くなってから、私にとっての闇黒の十年が
 始まる。
 [略]
 支那事変の末期、太平洋戦争のはじまる直前で、日本は
 異様な時代でもあった。何しろ町の饅頭(まんじゅう)屋に
 中学生が饅頭を買いに入っても殴られる。いわんや映画など
 とんでもない話で、映画館に入る姿を見るとすぐ「補導協会」
 とかいう組織で、町の人々が学校に密告するという騒ぎで
 あった。徳川時代は国民総隠密とでもいうべき時代であったが、
 考えると太平洋戦争以前もその通りで、ひょっとすると日本と
 いう国は現代でも同じかも知れない。
  また毎朝、授業の始まる前に東方遥拝、それから軍人でもない
 のに軍人勅諭を朗唱させられる。
 [略]
  今の時勢から見ると、きちがい沙汰だ。そしておそらく今の時点
 からのみならず、どう考えたってノーマルではない。昭和十年代は
 国民総発狂時代と断定してまちがいはない。
  そのころは私は「おかしいな」と漠然と感じてはいた。当時
「映画ファン」という[注:「映画朝日」の記憶違い]、
 [略]映画雑誌があって、
 [略]昭和十四、五年ごろであったと思うが、それに「中学生と映画」
 という論文を投稿した[略]。
 これは読者欄ではなく、堂々二頁見開きで掲載された。要するに、
 中学生にも映画を見せろ、そんなことは何でもないじゃないかと
 いう趣旨であったと記憶しているが、
 [略]
 私の中学だけでなく全国どこでも同じような現象があったからで
 あろう。むろん本名ではたちまち処分を受けるから__実際は
 どうであったか疑問だが、中学三、四年でそういう危険を感じた
 のはわれながらいたましい。同年配の方ならそういう配慮を諒と
 されるであろう。__このときはじめて「山田風太郎」という変名
 を使った。>(p312-314)

 馬鹿/気狂いどものおかげで、歴史が愚かしく再生される。


     (山田風太郎『わが推理小説零年』
     ちくま文庫 2016初 帯 J)



呪 亜屁沈臓/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/呪 吐爛腐/





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by byogakudo | 2017-06-15 13:29 | 読書ノート | Comments(0)


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