猫額洞の日々

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2006年 01月 26日

「推理文壇戦後史」読了

 大坪砂男の私生活は ほんとに人非人みたいだけれど、それで作品価値が下がるって
訳はない。

 p216-p217を引用する。
   <「僕みたいに、少年時代に贅沢のかぎりを尽した暮しを経験すると、
   恵まれた生活なんて、もうどうでもよくなってくるんだな。その方の
   望みが薄れてしまうんだよ。」>

   <人間は自ら額に汗して得た金では、真の浪費はできない。どんなに
   はでに散財をしているつもりでも、かならず限度がある。真に湯水のごとく
   使うことができるのは、親が残してくれた遺産か、盗んだ金ぐらいのものだ。
   盗銭、身につかずという譬えはこのことで、自分の場合は、親に貰った金を
   放蕩で、すっかり使い果たしてしまった・・・そうした意味のことも、
   話ついでに聞かされた。>

 そういう意識の人だから、第二夫人との間のハイティーンの長男が、バー勤めに
朝の新聞配達で一家四人を養っているのに、大坪砂男は収入を全部取り上げ、
子供たちには毎日コッペパンを一コずつ与えて、自分は外で天ぷらそばを食べたり、
喫茶店でコーヒーを飲んだりしていたそうであるが、全く鬼親ではある。

 身近に接していたらやりきれない。

 末期癌で入院しても治療を拒み、医師が回診にくると、ベッドで泰然と座禅を
組み続け、腹水を取ることも断っていた大坪砂男であるが、臨終の際は、第一夫人に
 「長らく苦労をかけて悪かった。すまなかった」と詫びつづけたようだ。
 お葬式の日のわびしさは、ちょっと齋藤緑雨を思い出す。

 (たとえ佐藤春夫の手が入っているにしても)「天狗」一作だけで、大坪砂男は
永遠を持つ。

お手数ですが、よろしく。
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by byogakudo | 2006-01-26 18:12 | 読書ノート | Comments(0)


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