猫額洞の日々

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2017年 06月 30日

(4)山口由美『箱根富士屋ホテル物語』読了

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~6月29日より続く

 箱根富士屋ホテル・二代目である山口正造の時代が、
ホテルの歴史上でいちばん華やかだろう。

 初代・仙之助も新技術の導入に積極的__火力(!)発電機
で館内を点灯したり、水力発電機を開発したり__だが、1907
(明治40)年に仙之助の長女と結婚し、入婿した正造は、厨房新設
や冷蔵庫を取り入れたりのベーシックな部分だけでなく、"建築道楽"
として、今に残る富士屋ホテルの建物、舞踏場(「カスケードルーム」)
や「花御殿」を作る。富士屋ホテルのイメージを作り出した、と言える
だろう。

 進取の気象に富んだ初代、名プレイヤー/大監督である二代目に
比べると、著者の祖父、三代目・山口堅吉は地味な印象である。
 1944(昭和19)年、正造の死を受けて代表取締役に就任するが、
正造と堅吉は3歳しか違わない。

 正造は仙之助の長女と結婚し(て離婚後、独身を通す)経営者になる。
堅吉は仙之助の三女と結婚して、死別。その後、再婚して娘に婿を取り、
著者・山口由美が生まれた。
 婿にそのまま四代目が行きそうな気配がある。仙之助の直系たちには、
どうしても面白からぬものがあるだろう。

 堅吉が跡を継いだ時代は、顧客への案内状に、

<「在日外交官に部屋を提供しておりますが、一般向けの営業も
 しております。ただし、ご宿泊の際には、一日につき米一合と、
 砂糖をご持参ください」>
(p200『III 嵐の中の守り__堅吉』)と、記さなければならない
時代である。

 戦争が終れば終ったで、占領軍により、レストホテルとして接収
される。困難な時代を凌いで、クラシックなリゾートホテルを守り
抜くのは、並大抵なことではない。守りは業績としては目立たない
が、堅吉が守ったからこそ、クラシックホテルのイメージは確固
たるものになった。

 堅吉の孫である著者の、初めての単行本が『箱根富士屋ホテル
物語』である。1994年の刊行時には、親族間の"内紛"に乗じられた
乗っ取り騒ぎについては書きにくかった。2007年の「増補版」で、
ようやくホテルが創業家から、小佐野賢治の国際興行・傘下に
入った顛末が語られる。

 横井英樹、児玉誉士夫、小佐野賢治。三人が箱根富士屋ホテル
の運命を握る。児玉誉士夫が小佐野賢治側に鞍替えしたおかげで、
ホテルは横井英樹の魔手を逃れられた。

< 富士屋ホテルをめぐる人々が、本当の意味で堅吉が「嵐の中の
 守り手」だったことに気づいたのは、昭和五十七年のホテルニュー
 ジャパン火災だったかもしれない。
  燃え上がるホテル、矢面に立たされた支配人、それらを富士屋
 ホテルや自分自身に重ね合わせ、胸をなでおろしていた人が
 どれほどいたかと思う。>
(p265『「嵐」の舞台裏__もうひとつの物語』>

 つねに新しい手法を取り入れることに熱心(ホテルトレーニング
スクールを始めたり、アメリカのホテル経営を学んだり)であっても、
婿養子で継承し、小規模な"家業"形態であり続けるのは、やはり無理
だったのだろうか。
 小規模なホテルだからこそ、個人の意志やセンスが直接に反映して、
愛されたのだろうが。マニュアル化しにくいものは在るのだが。


     (山口由美『箱根富士屋ホテル物語』
     小学館文庫 2015初 帯 J)



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by byogakudo | 2017-06-30 20:50 | 読書ノート | Comments(0)


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