猫額洞の日々

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2017年 07月 24日

『パノラマニア十蘭』を中断して(1)岡本綺堂『綺堂随筆 江戸っ子の身の上』へ

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 久生十蘭『パノラマニア十蘭』は、あと2篇『重吉漂流紀聞』
『ボニン島物語』を残しているが、夏場に読むには、あまりに
シヴィアでシリアスでヘヴィではないかということで、岡本綺堂
『綺堂随筆 江戸っ子の身の上』を読み始めた。

 むかし(明治や大正)の小説は、いまの作家と比べて、漢字の
使用が多いので、紙面が黒々としている印象がある。いまなら
平仮名で書くような副詞も、たいてい、漢字が使われる。

 そんな中で例外的なのが綺堂だと思ってきた。『半七捕物帳』
で見たのか、正確な記憶ではないが、たとえば"夕方"を"ゆう方"
と、一部仮名書きにするような、紙面に軽さや優しさを与える
書き方を心がけている作家だと思う。

 随筆でもそういった配慮が見られる。「時事新報」、大正15年
(1926年)8月19日から22日にかけて連載された『薬前薬後』の
『雁と蝙蝠』から引用__

< 夏のゆうぐれ、うす暗い家の奥からは蚊やりの煙がほの白く
 流れ出て、家の前には涼み台が持ち出される頃、どこからとも
 知れず、一匹か二匹の小さい蝙蝠が迷って来て、あるいは町を
 横切り、あるいは軒端を伝って飛ぶ。>(p116)

 "ゆうぐれ"、"うす暗い"、"蚊やり"、"ほの白く"と、はかなくうっすら
としたタッチで舞台を整え、小さな黒い蝙蝠の登場する背景をつくる。
 こういう視覚的配慮だと思うのだけれど。

 「新潮」昭和8年(1933年)3月号に書いた『雪の一日』には、
信州の友人から言われて、戯曲ではなく小説を書こうとする経緯
が記される。

<信州にかぎらず、冬の寒い、雪の深い、交通不便の地方に住む
 人々に取って、かれらが炉辺の友となるのものは、戯曲にあらず
 して文芸作品か大衆小説のたぐいであろう。
 [略]
 戯曲には舞台が伴うものであるから、完全なる劇場をも持たない
 地方の人々の多数が、戯曲をよろこばないのは当然のことで、
 単に読むだけに止まるならば、戯曲よりも小説を読むであろう。
 [略]
 普遍的の読み物のたぐいは、場所をかぎらず、時を限らず、人を
 限らず、全国到るところで何人にも自由に読み得られる。
 [略]
 筆を執るものは眼前の華やかな仕事にのみ心を奪われて、東京
 その他の大都会以外にも多数の人々が住んでいることを忘れては
 ならない。>(p75-77)

 綺堂の"読み物"指向もあって、意図的な平仮名の使用になったの
かしら。もちろん、書くもの全部が全部、白っぽい明るい紙面を
目指すのではなく、どんな話であるかによって漢字を多用せざる
を得ないときもあろうし。

 わたしが語彙が少ないのでびっくりするのかもしれないが、
『雁と蝙蝠』中の、

<相馬の古御所の破れた翠簾の外に大きい蝙蝠が飛んでいたなどは、
 確かに一段の鬼気を添えるもので、昔の画家の働きである。>
(p115-116)

の、"昔の画家の働きである"なんて言葉遣いを見ると、こんなときに
"働き"という名詞が使えるのかと驚く。


     (岡本綺堂『綺堂随筆 江戸っ子の身の上』 河出文庫 2003初 J)

7月25日に続く~




呪 亜屁沈臓/呪 共謀罪=ネオ治安維持法/呪 吐爛腐/

<横浜では4月からこの白い服きた日本会議系の団体が
 マナー教室として学校に介入しはじめました。 挨拶は40度
 と子どもに求め命令口調。すぐにでもやめさせたい( ;∀;)>
(7:36 - 2017年7月23日)

 「共謀罪」法施行 警察監視の独立機関が必要 法律家ら提言

 共謀罪強行成立記念! 安倍政権の暴挙を忘れないために振り返る
「共謀罪トンデモ答弁・暴言録」


 【票を入れるな危険】日本会議所属の都議候補一覧

 小池百合子氏 日本会議“本流”から外れた愛国者

 「共謀罪」法 衆参両院議員の投票行動

 上記のPDF





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by byogakudo | 2017-07-24 16:35 | 読書ノート | Comments(0)


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