猫額洞の日々

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2017年 09月 02日

(2)川本三郎『荷風好日』半分

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~9月1日より続く

 『第二部 夢の中で』の『モダン都市東京と私娼__荷風
の作品を中心に__』では、戦前の恋愛事情と娼婦(プロ
からアマチュアへ)との関係が語られる。

<普通の若い男性が普通の若い女性と恋愛するという
 現代では当り前のことが戦前までは決して当り前では
 なかった。[略]若い男性は玄人の女性と疑似恋愛する
 しかなかった。>(p90)

 野口冨士男が丸谷才一との対談「花柳小説とは何か」
(『花柳小説名作選』集英社文庫、1980年)で語る__

< 「大正時代のぼくなんかの記憶でいうと、だいたい初恋の
 相手は、いとこなんですよ。里見先生のお書きになったもの
 など見ると、上流の家庭で童貞を失う相手というのは、年上の
 女中が多かったらしい。およそ男女交際というものがなかった
 それで男女交際がどこで行なわれるかというと、花柳界で行なわ
 れるわけで、ぼくなんかもそういう遊びをすることによって、
 やっと大人になったという気がするんです」(傍点・引用者)
 [注:孫引きではボールド表示]>
 [略]
  女性の立場からいっても「およそ男女交際というものがなかった」
 時代は窮屈きわまりない。いっそ若い男性と付合える玄人の女性が
 羨ましい。>(p90)

 幸田文『流れる」映画化にあたっての座談会で、田中澄江の
発言(「婦人公論」昭和31年12月号)__

< 「私どもは花柳界の女のひとに対して女として劣等意識を
 感じるんですね。女としては美しく磨かれていると思ったり
 して。それからまた、明治の初めから男と対等に話のできる
 のは、いいところの芸者衆だけだったでしょう。普通の家庭の
 奥さんは、何でもひっこめひっこめと言われて、世間は狭いし、
 いまだにそんなことでなにか劣等感みたいなものを感じる人も
 いるでしょうね」
  私娼はこういう「およそ男女交際というものがなかった」
 時代に生まれた、いわばひかげの花だった。>(p90-91)

 野口冨士男『私のなかの東京』(文藝春秋、1978年)では
私娼と公娼とが比較される__

< 「交渉も海千山千の妓夫太郎(ぎゅうたろう)や遣手(やりて)
 婆さんが中間に入る遊廓のばあいとはちがって本人との直接
 取引きだから、よしんば蔭にはどんなからくりがあるにしろ、
 中間搾取の不快さを眼の前で見せつけられることはなくてすむ。
 また、あまりにも伝統的で組織的な機構にがんじがらめにされて
 操り人形のようにしか感じられない無気力な公娼にくらべればの
 話だが、交渉の段階で相手の頭脳のよしあしもある程度まで識別
 できる。つまり、人間と対しているという、きわめて当然な手応え
 がある。[略]
 束縛されていないから、わずかながら世情にも通じている。
 [略]私娼はそれぞれの好みで、[略]日本髪に結っている者も
 あったが、洋髪で和装の者もいれば洋装の者もいて、その点
 でも時代の好尚に即応していた。遊廓にくらべれば、青年層を
 ひきつける力においてはるかに立ちまさっていたのである」>
(p88-89)

 近代化とは都市化であり、大衆化である。芸事などを仕込まれた、
ある種、特殊技能者である公娼はそれ故に、カジュアルな売春者・
私娼に需要を奪われる。
 労働の基本形態は売春行為だ。私娼の登場は、すべての労働者が
(どれほど高給を得ていようと)、つねに失職の可能性に直面する
現在、あらゆる分野において"プロ"と"アマ"の見境がつきにくい現在、
の到来を告げるかのようだ。
 すべての女は(可能性において)娼婦であり、すべての労働者は
(可能性において)失業者である。


     (川本三郎『荷風好日』 岩波現代文庫 2007初 帯 J)

9月6日に続く~




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by byogakudo | 2017-09-02 21:39 | 読書ノート | Comments(0)


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