2006年 02月 21日

「風が吹いたら」

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(池部良 文春文庫 94初)を昨夜から。
 池部良のお父さんが画家の池部鈞であるのは知っていたが、お母さんが
岡本一平の妹とは知らなかった。(忘れていたのかも解らない)。
 だから池部良と岡本太郎とは当然 従兄同士になる。年齢は太郎が7歳上だ
そうだが。

 近い親戚なのに 池部良が伯父さん伯母さん夫妻に会ったのが一度きりなのは、
一平・妹たる良の母上が兄嫁・かの子を嫌っていたからだそうである。
 文庫本中の「すばらしい大人」から引用すると、
   <「かの子さんは独りよがりの宣伝屋、世の中は何んでも自分の為に
   あると思ってる。兄さんはひとが好いからかの子さんにいいように
   引き回されている」>といったような嫌い方であったらしい。

 池部鈞の方は、非難・批判めいた言葉もないかわり、賞賛もしない態度。
そんな没交渉な家庭同士であったが、或る日フランスから帰ってくる岡本夫妻を
横浜まで迎えに行くので「連れてってやろうか」と、池部鈞と息子たちは
港に向かう(お母さんの様子が書かれていない。たぶん彼女は出向かなかった
のだろう)。

 カメラマンに囲まれた岡本夫妻に近づいた池部鈞が、一平に「よう」と声をかけ、
一平は「おお」と応じる。一平の声で気付いたかの子が「まあ、良ちゃん」と
頭を撫でてくれる。
 淡白な親戚同士の交換風景であるが、14歳の池部良少年は大人の恰好よさを
しっかり記憶する。「よう」「おお」の間に
   <互いにお互いを理解する光線が往復したように思えた。親戚だから
   義兄弟だからということよりも男と男、伯母に対しては男と男的な「情」と
   「理性」が深く落ちついて噴いているように思えた。互いの考え方、互いが
   築いた仕事を批判もせず侵しもせず自慢気に吹聴することもない沈潜した
   「男」の、或いは「大人」の世界を持ったひとだけの「情」と「理性」の
   交換のようで、もしあのとき僕が十四歳の子供ではなくもっと世の中を
   理解出来る年頃だったら感激に近い気持で涙を浮かべたかも知れない。>

 大正リベラリズムは かく存在する。

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by byogakudo | 2006-02-21 13:51 | 読書ノート | Comments(0)


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