猫額洞の日々

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2006年 04月 04日

昨日の続き

 久保田万太郎の人見知りや人の好き嫌いの激しさは読んだことがあるが、内輪とは
仲良く談笑していても、よく知らない人や好きでない人間が近づくと、ソッポを向く。

 それをやられた小島政二郎の話__もう付き合いができて後、小島政二郎が新婚の
奥さんと劇場に行ったら万太郎がいた。奥さんを連れて挨拶しようとしたら、「初め
まして」と平土間の仕切枠に手をついてお辞儀する彼女を、万太郎は見事に無視して
挨拶を返さない。

 問題はその後の箇所、戸板康二のコメントである。
   <これは、万太郎の損なところであったが、要するに、ソッポを向く以外の
   表現ができないシャイネスが、その性格にあったのだろう。>

 シャイネス?! ここにわたしの怒りはつきる。これをもってシャイネスと了解する
近代の野郎どもの甘え加減に愛想が尽きる。

 もし久保田万太郎ではなく 同じくらい才能のある、同程度に人見知りの激しい女性
_仮に久保田千代子としよう_であったとしたら、この「シャイネス」は通用した
だろうか?
 する訳ない。男女を問わず非難の嵐に取り巻かれ、千代子は自殺するか発狂するか
いずれにしても潰されたことだろう。

 少し話が逸れるが、他人に無礼な振舞をする荷風を、それではわたしは何故
非難しないかといえば、荷風の確信犯性を信頼するからである。「確信犯」の
使い方が間違っていることは承知しているが、この場合、いま流通している
意味での「確信犯」である。
 万太郎にはこの確信があまり感じられないので、わたしは苛立つ。

 話はさらに逸れて、店のレジに坐って見ている限りの大まかな印象に過ぎない
けれど、若い男性客の元気のなさと、それに反比例するかのような 若い女性客の
エネルギーを見ると、男女どちらも自立してのびのびする状況は不可能なのかと
悲観する。
 日本の男をいきいきさせるには、相変わらずマザコンが必要不可欠なのか。
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by byogakudo | 2006-04-04 11:07 | 読書ノート | Comments(0)


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