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猫額洞の日々

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2006年 04月 09日

(3)浜尾四郎「殺人鬼」読了



 この頃(30年代)からもう探偵小説故の制限、問題点は意識されていたのか
という感想である。

 何度か探偵小説について言及されている。
<「・・・いったい、探偵小説に出てくる悪漢は大悪人すぎるよ。作りつけの、
生まれながらの悪人なんだ。たとえば、人を殺すのに、実に遠大な計画をたて、
冷静にやっつける。それから、あとでも実に平気でその始末をつけている。
あれがちょっといやだな。」>_小説の中の名探偵の発言である。小説は何だか、
その通りな犯人なのですが、でも さすがにあまり無理なく?作られている。

<探偵小説に出てくる名探偵は、シャーロック・ホームズでも、フィロ・ヴァンス
でも、ソーンダイクでも、ポワロでも、思わせぶりな言葉を時々出すばかりで、
最後の章まで自己のセオリーを少しもいわないのが通例である。しかし、それは
読者を最後まで引きつけておく一つの手段にすぎないのだ。>_なんてコメントも
ワトスン・小川氏は述べている。それに比べて(物語中の)現実の名探偵は云々と
続く、これはメタ・ミステリの嚆矢であったか!

 名探偵による最後の章での謎解き場面は、事件が解決して食欲も回復したのか、
銀座の洋食屋で行われる。フルコースの食卓だ。
 まずコンソメ、次は伊勢エビ、ビーフステーキ、果物には手をつけず、すぐに
紅茶、シガレットをたてつづけにくゆらしながら、紅茶をガブガブ喫しつつ論ずる。
 最終章は冒頭の喫茶店でまた紅茶である。コーヒーは遂に誰も飲んだ気配がない。
浜尾四郎自身が紅茶党だったのかしら。

 愉しく読めたけれど、頁破れを発見。修理して値下げしなくっちゃ・・・。
 そうそう、絵画の趣味と書斎の本の没趣味の食い違いについては、謎解きは
なされなかった。作者が(読者も?)忘れたか、たんに不調和な家庭を暗示する
舞台装置だったか であろう。
 いよいよ今夜からウッドハウス!

(3)浜尾四郎「殺人鬼」





by byogakudo | 2006-04-09 15:49 | 読書ノート | Comments(0)


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