2006年 04月 12日

「ウースター家の掟」読了

 有閑階級の紳士・バーティーとその執事・ジーヴスの物語は、いつもバーティーが
濃いスープのような泥沼に足を取られ、賢明なるジーヴスのおかげで引っ張り出して
もらえるのだが、短篇なら泥沼あるいはスープは一回ですむのに、長篇では数カ所の
泥沼スープが存在している。

 一カ所から抜け出せそうになると、他の泥沼にもう片足がはまり込み、主従ともに
今回こそは 立ち往生かと思わせて、やっぱりジーヴスの頭脳的プレイで見事
生還する。
 
 アングロ・サクスン的人生観では、生きることはゲームであると心得ているのか
という感想を持った。
 ゲームに勝たなくては、生きて行けない。ただし やみくもに勝つのではゲームが
ゲームとして成立しないという制限条項もあって、紳士的に振舞いつつ勝つことが
求められる。だから警官のヘルメットを盗むに当っても、冠っているヘルメットを
盗むのでなければならず、脱いで傍に置いたヘルメットをかっさらうのでは盗んだ
ことにならないと、バーティーは主張する。

 ゲームやスポーツにおけるフェアプレイの観念は、ここいらにあるのか、
勝つことを求められるが、ある文化的範疇の振舞い方も同時に要求される という?

 「紳士的行為」とか「騎士道精神」等、無自覚に使っていたけれど、「紳士」なる
言葉と存在は、19世紀新興ブルジョアジーの発明品ではないかと思いついた。
 あんまり根拠のない思いつきですが。
 新興ブルジョアジーが成り上がってはみたけれど、内心何となく落着けない。何か
精神の錘になるものはと考えて作り出したのが、中世騎士道に根源をもつ「紳士」では
ないかしら?

 中世とは違い、はっきり雇用関係にある従者の忠誠心は 彼なりの利益追求に基づく
ものであり、ジーヴスは主人を救い出すが交換条件的に、念願の世界一周クルーズに
旅立つことができる。勿論 邪魔になる女性の存在はなく、気心の知れた 扱い易い
ご主人・バーティーと彼自身のふたりで気楽に。

 ジーヴスものを意識下で描くと、映画「召使」になる。こちらは階級対立の激しくなった時代の物語だが、より明確に主従のホモセクシュアルな共犯関係が描かれる。

 愉しくウッドハウスを読んでればいいのに、何をごちゃごちゃ言ってるのでしょ。
                      (ウッドハウス 国書刊行会 06初帯)
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by byogakudo | 2006-04-12 15:43 | 読書ノート | Comments(0)


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