2006年 04月 25日

「魔法使いの弟子」を読み始める

 読書指導要綱に背いて第2部以外も読んでみる。みごとに敗退する。引用された
文章などで時々ピンとくることもあるけれど、入れない。困った。抽象的な思考力に
欠けるので、仕方ないのだが。
 書くこと或いは書くことの不可能性を廻る記述なのかなあ? 単盲象を撫でるのは
止めておこう。

 勧めて頂いた第2部は、さすがにわかる。解るというより感じられる。ひとりの
日本人青年の肉体に刻み込まれた或る戦後ヨーロッパ史 とも読める。鈴木創士氏の
文章で素敵なのは、思考に身体性が感じられることだ。偏差値お化けどもよ、
恥ずかしいと思いなさい。

 第3部に含まれる「モーリス・ブランショ」中の『私の死の瞬間』は、あの短文の
ことだろうか、ナチに殺されそうになった時の話ではあるが、非・劇的、非・心理的な
エーテル化した事物のようなあの文章の?
 もしそうであるなら再読したいのだが。
               (鈴木創士 現代思潮新社 エートル叢書17 06初帯)
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by byogakudo | 2006-04-25 18:19 | 読書ノート | Comments(0)


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