猫額洞の日々

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2006年 07月 07日

高島野十郎展

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 (写真は神保町界隈 、クリックすると拡大します。)

 三鷹市美術ギャラリーの「高島野十郎展」に行った。
 日本では、相変わらず求道的・まじめな姿勢が評価されやすい傾向にあると
思われるが、高島野十郎も、その線での理解・流通・消費されて行くのではないかと、
こういう感想がまず浮かぶわたし自身に問題を覚える、のだが。

 TVで紹介されたときには、ここまでの平面性は感じなかった。実際に見てみると
絵画空間に入って行きづらい。画家の求道性ばかりが強く感じられる。

 他者の眼差しと交歓するのが「作品」ではないだろうか? 孤独な画家
ということでは、たとえばレオン・スピリアールト。でも彼の作品には入って行ける。
(「70年代高円寺の感受性が、20世紀初めに描かれていた!」と、流通度の低い
感想を叫んだ記憶がある。)

 野十郎の絵を前にすると、日本の近代の苦悩にまず思い至り、誠実さは認めるけれど
描かれた結果としての「作品」度には・・・疑問を感じる。
 「私小説」がよく解らない人間なので、そこが彼への理解の妨げになっている
のかも知れないが、彼は普遍性について、どう考えていたのだろう?

 晩年の、点描に近い太陽の絵は好きだった。
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by byogakudo | 2006-07-07 20:36 | アート | Comments(2)
Commented by かめ at 2006-07-07 22:44 x
野十郎展が行われていたとは知りませんでした。僕もテレビで知った程度ですが、まず実物を見ないとなぁと思っていました。早速行ってきます。
Commented by byogakudo at 2006-07-08 19:30
平日なのにかなりの人出でした。会場が狭いせいもあって、もう少し絵との距離があると見やすいかしら、とも思いました。日本の近代って大変と、いまさらですが。


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