猫額洞の日々

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2006年 07月 20日

大庭柯公+由良君美

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 大庭柯公「江戸団扇」が終わってないのに、由良君美「言語文化のフロンティア」
(講談社学術文庫 86初)をあちこちしている。たぶん全部は読めずに、拾い読みで
終わるであろう「言語文化のフロンティア」4章の3「ナチ文化とルサンチマン」より
マックス・シェーラーの言葉の引用:

<ちょうどわれわれの社会のように、ルサンチマンに最も陥(おちい)りやすい社会
__政治的にもその他の点でも、ほとんど平等の権利が認められておりながら、
公に認められた形式的社会的平等がありながら、同時に、実際には力、財力、教育
などの点において、きわめて大きな不平等が存続している社会においては、
復讐感情の心的動性は、ますます激しく形成される。こういう社会では、誰でも
自分をすべての人と比較する<権利>をもつが、にもかかわらず
<実際にそうすることができない。>こういう社会では__個人の性格や体験とは
全く無関係に、まさに<社会構造>のゆえに、ルサンチマンへの強力な潜在性が
培(つちか)われること必定である。>

<こうした嫉妬において、もともと手の届かない価値や財力が問題となるとき、
ますますルサンチマンに近づく。最も無力な嫉妬こそ最も怖るべき嫉妬である。
極めて激しいルサンチマンを形成さす嫉妬は、他者という個の<実存そのもの>に
向けられる嫉妬、つまり<実存嫉妬>である。
こうした嫉妬はつねにこう囁(ささや)く。『あなたのすべてを許すことはできる。
ただあなたが存在するということ、あなたという存在があることを許すことは
できない。あなたのようで私がないということ、<私>が<あなた>でないということ
だけは許せない。』と>
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by byogakudo | 2006-07-20 13:03 | 読書ノート | Comments(0)


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