2006年 12月 03日

「文人たちの寄席」読了

 70年代の「スポーツニッポン」日曜版連載を収録した第2部
「名作の中の藝能」では、荒畑寒村「寒村自伝」が面白そうだ。岩波文庫
上下2冊だそうだけれど、

< 革命家の自伝というと、なんとなく理論闘争に明け暮れた日日を
 かたくるしく記した文章を連想してしまうところだが、・・・。横浜遊郭内の
 台屋に生まれてる寒村は、幼い日、この地にたくさんの門付藝人が訪れて
 くるのを見ながら育っている。そのためか、藝への関心が意外なくらい高くて、
 自分がふれてきた舞台や役者の印象などを、まことにさり気なく書いている。
 ・・・、モスクワに密航したとき、かの地で見たシェークスピアであったり、
 自分や、夫人がひいきにしてる歌舞伎役者のはなしだったりするのだから、
 うれしくなる。>p152-153。

 ボールド表示したのはそれぞれ、「生まれている」や「している」ではない
ところを強調したかったので。このトーンは誰かに似てると思ったら、たしか
獅子文六のエッセイもこの調子ではなかったか?

 90年代後半に書かれた第1部「文人たちの寄席」では、「生まれてる」や
「してる」は消えているようだ。おどり字を使わない姿勢(「日々」ではなく
「日日」と記す)は20年余、変わらない。
                    (矢野誠一 文春文庫 04初帯)
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by byogakudo | 2006-12-03 14:32 | 読書ノート | Comments(0)


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