猫額洞の日々

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2006年 12月 28日

「パリ|ボナパルト街」途中

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 「1972年秋−冬」十一月×日、より__racisme、racisteという
言葉をめぐる考察__

< なるほどわれわれは、マイナス記号を持つ言葉を幾つも持っている。 
 <アカ>とか、<軍国主義者>とかのレッテルを無造作に張りつけてきた。
 ただ違いはおそらく次の点にある。われわれが相手に<アカ>とか<軍国
 主義者>とか言うとき、われわれは自分が<アカ>ではないことに、<軍国
 主義者>ではないことに確信を持っている。それは向こう側にいる
 人間にのみ投げかける言葉なのだ。したがって相手にしても、
 <アカ>で何が悪い、<軍国主義者>で何が悪い、と居直れる余地がいつでも
 ある。最初から彼我の関係は絶たれているのだ。これにたいして、<ラシスト>
 となるとそうはいかない。まず第一に、自分は<ラシスト>でないと断固として
 言いうるものは少ないであろう。したがって彼我の境界は不分明ということに
 なる。にもかかわらず、あえて相手を<ラシスト>と指名するとすれば、
 それはすでに向う岸にいる人間にレッテルを張るということではなく、
 相手を向う岸に追いやること、彼我の関係を新たに創り直すことになる。
 まさしくこの言葉は行為となるのだ。そしてわれわれ日本人はこのように、
 関係を創り出す言葉、創り直す言葉というものを好まない、なるべく用いようと
 しない民族なのである。すでに存在する関係に基づいてしか言葉を用いない
 民族なのである。われわれの主格の用い方は、何よりもよくそのことを
 物語っている。>
               (p142。ボールド表示は 原文では圏点。)
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by byogakudo | 2006-12-28 14:04 | 読書ノート | Comments(0)


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