猫額洞の日々

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2007年 01月 25日

「一握の塵」から「すてきな すてきな スパイ」へ

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 (写真はクリックすると拡大します。)

 しかし「一握の塵」、そんなに大傑作かなあ?
 訳者あとがきには、
<この作品においては、ウォーの傑出した才能である描写力、ヒューマー、
風刺、哀感(ペーソス)などが、過不足なく、絶妙なバランスを保ちながら
全体に融合し、統一されている。(中略) 処女作『衰亡記』や『黒いいたずら』
では悪ふざけが過ぎているし、『ブライヅヘッドふたたび』ではいささか
感傷が過剰であるように思う。>(p354)と書かれているけれど。

 ショックを受けた主人公が船旅に出かけるつもりが、山師めいた探検家に
遭ったせいで、ブラジル奥地の幻の<都>を探しに行くことになり、物語は
ブラックヒューマー混じりの幻想小説へとモードを変える。

 何しろ主人公の視る幻の<都>は、いつも、いつの間にか、彼の愛する
英国風ゴシック建築の<都>になってしまう。熱病に倒れて視る幻覚も、英国の
風景・風俗にまみれっぱなし。

 密林の奥に住むディケンズ・マニアに命は救われるが、主人公は死ぬまで
ディケンズの音読を続けさせられる、英国小説の囚われ人という運命や、遺言の
おかげで彼の愛するカントリーハウスのみ、親戚の手で維持されて行くという
エンディングの皮肉等、悪くないが、後書きにあるほど、効果的に渾然一体と
言えるだろうか。

 感傷的であれ、決定的に喪われた世界を哀惜をこめて素直に語り綴る
『ブライヅヘッドふたたび』のうつくしさを、わたしは選びたい。それに、
感傷的って、否定さるべきものであろうか。『ブライヅヘッド』の甘やかさは
静かで爽やかだったと、憶えている。
     (イーヴリン・ウォー 彩流社 96初)

 昨夜から軽スパイアクション?「すてきな すてきな スパイ」を読む。67年
スゥインギング・ロンドンの青年スパイもの。
 巻末の宣伝頁、<故ケネディ大統領が愛読した 007号シリーズ>に
使われている写真がディーン・マーティン(サイレンサー・シリーズ?)なのは
なぜ?
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by byogakudo | 2007-01-25 12:38 | 読書ノート | Comments(0)


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