猫額洞の日々

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2007年 03月 14日

またトーマス野口を読む

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 (写真はクリックすると拡大します。)

 昨夜は早く店を閉め、早めに12am過ぎに横になる。読むものがトーマス
野口「検視解剖」(講談社+α文庫 95初帯)しかなかった。

 もう少々、書き方が巧ければいいのに、ぶつぶつ・・・。疲れているので
すぐ眠る。

 名門校の女学長が恋人(著名な医師)を殺したと評決された事件があった。
トーマス野口たちの法医学的解釈では殺人ではなく事故であるが、

< 法廷におけるやりとりでは、往々にして対立戦術が裁判の成り行きを
 左右し、それによってもっとも決め手となるはずの法医学的証拠がなおざりに
 されがちである。・・・
  いかに法医学的証拠を法廷に提示するかは、この職業にたずさわるわれわれが
 改善し、より向上させるべきだとかねがね痛感している問題である。・・・
 陪審がすんなり理解できるような明快で、説得力に富んだ分析をしめす基本的
 課題をわれわれがまだ解決していないのは、アメリカの陪審制度が提示ではなく、
 もっぱら対決にもとづいているからである。>(p177)

 昨日の夕刊に、犯罪被害者側を裁判に参加させる動きが伝えられていたが、
被害者を心身共に援助・救済するシステムがないから、そんな動きも起きるのでは
ないかしら。

 何のために裁判制度があるかと言えば、社会混乱を招く仇討ちの連鎖を防ぐため
ではないのか。裁判制度と被害者の救済とは別問題だ。

 近頃の判決では、被害者の感情を加味して判決を下すとかいうフレーズが出て
くるけれど、何か変。社会の成立を危うくするような犯罪があれば、それに見合う
量刑を下すのではないか。そこに被害者側の感情を含めては、第三者機関たる
裁判制度自体を否定することにならないだろうか。
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by byogakudo | 2007-03-14 13:41 | 読書ノート | Comments(0)


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