猫額洞の日々

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2007年 04月 08日

「平賀源内捕物帳」途中

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 (写真はクリックすると拡大します。)

 久生十蘭、やっぱり素敵だ。再読の「源内捕物帳」だが、日本語の
カッコいいこと。「心が洗われるような」とは、こんなときに用いる
べき表現だろう。娯楽小説で、このレヴェルですよ、現代日本の若手
作家さんたち!__ようやく「作家さん」の使い道がわかったような
気がする。

 連日、若いエンタテインメント系小説家の悪口ばかりで、すみません。
だって、あんまりな日本語水準で、いつの間にこんなことになっていたやら、
ショックがひどい。久生十蘭並みとは言わない、あんな名人芸は求めないが
もう少しガサツじゃない日本語を用いようと心がけて下さい、ほんとに。
 読む方だって辛いんだから。
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by byogakudo | 2007-04-08 13:38 | 読書ノート | Comments(2)
Commented by 美咲歌 芽句 at 2007-04-08 22:06 x
そうだ、そうだ、そうだ!
アントナン・アルトーの罵声が聞こえる。
「美しい日本」などというつかみどころのない歯の浮くようなセリフを吐く前に、正しく美しい日本語というものを私たちは取り戻すべきだと、自戒の念を込めつつ思う。
美しい言葉には浄化作用があることを忘れたくはない。ねぇ・・・。
Commented by byogakudo at 2007-04-10 14:00
ヒトは言葉で成り立っていて、これがもしかしたら原罪とやら
いうものではないかと思うこともあるけれど、チェスタトン的
理解でゆけば、限界があるからこそ、それは存在可能である
ということです。
言葉はどこまで行ってもモノやコトそのものになることは
できず、漸近線を描くことしかできませんが、でも消滅地点を
目指さないヤワでゆるい言葉でこと足れりとする態度は、ヒトを
スポイルして、世界から美を奪う元凶です。


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