2007年 06月 12日

「スカトロジア」+「虚無への供物」

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 (写真はクリックすると拡大します。)

 森茉莉も終り、一昨夜から「スカトロジア」(山田稔 福武文庫91初帯)
を読み出し、昨夜から「虚無への供物」(中井英夫 講談社文庫83年19刷)
も(いよいよ!)読み始める。

 「スカトロジア」中『尻を拭く話』に李家正文「厠考」からの引用が
ある。(p45)
< 紙で拭くのを不潔とする点ではインド人も同じらしく、前記の『厠考』
 には伊東忠太なる人の談として(以下略)>
 これは築地本願寺の伊東忠太と見ていいのだろうか。

 「虚無への供物」の単行本初版は64年講談社(塔晶夫名義)だが、その
前に、ホモセクシュアル雑誌「ADONIS(アドニス)」の21号(55年)から
碧川潭名義で連載されている。文庫版刊行に至るまでに何度か訂正が
あったようであるが__
 序章2 『牧羊神のむれ』に出て来る台詞が不思議。
< 「ちょっと、ここのマッチったら愉快じゃないの。モハメド・アリ
 みたいな黒んぼの少年が逆立ちしてるわ。・・・」>(p16)

 小説の時代設定は1954年だからまだカシアス・クレイ名だったのでは
ないかしら? それにローマ・オリンピック(60年)以前にクレイの名が
知られていたのだろうか?
 それともたんに、74年の文庫版改訂時に、黒人ボクサーの名前を比喩に
用いるには昔のボクサーだと、もう読者に通じないかも知れないという
作者の配慮と見るべきか。
 
 塔晶夫名の「虚無への供物」(東京創元社 00年復刻版)では同じ箇所が
< 「ちょっと、ここのマッチったら愉快じゃないの。モハメッドみたいな
 黒んぼの少年が逆立ちしてるわ。・・・」>(p15)とある。要するに
アラビア風・黒人風という比喩なのか?
 「ADONIS」ではどうなっていたのか、ちょっと知りたい。
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by byogakudo | 2007-06-12 13:40 | 読書ノート | Comments(0)


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