猫額洞の日々

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2007年 08月 27日

「黄金の砂の舞い__嵯峨さんに聞く__」読了

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 (写真はクリックすると拡大します。阿佐ヶ谷住宅での1枚です。
阿佐ヶ谷住宅写真集はたぶん明日、また、どーんと載っかる予定。)

 以下は、夏休み中に書いた感想文です。

07年8月24日 「黄金の砂の舞い__嵯峨さんに聞く__」読了

 散文しかも探偵小説をメインに読んでいる奴が何を思ったか、未知の
詩人の聞書き集を読む。めずらしい。(詩集を置いてるからって
店主が読んでいる訳では、勿論ありません。)買取本の中にあって
何となく面白そうと思ったからだ。

 固有名詞があまり注釈なく(何しろ詩人についての知識ゼロ)乱舞
する聞書き集で、目が回りそうでそうでもない。詩人は宮崎県都城市
出身、宮崎市で子ども時代を過していた。わたしは宮崎市に育ったので
はるか後年とはいえ、彼が少年期に遊んだ川も海も多少は知っている。
神田橋旅館という詩人の親戚の営む旅館も、ホテルになっていたけれど
近所にあった。

 しかしアーティストにやさしくない土地柄故か、詩人が14歳以降は
東京や満州で暮したせいか、雑誌記者として創成期の「文藝春秋」で
活躍はしているが、戦後はマイナーな「詩学」編集長という彼のキャリア
のせいなのか、家にいた頃、詩人の名前を聞いたことはない。名作全集の
類いしかない家庭だったからか。
 絵描きの杉田瑛九、女優の緑魔子以外に、アーティストがいたのかと、
驚いた。緑魔子の伯母さん(松葉マキという工芸家)とも、詩人は恋愛が
あったそうである。

 詩人への聞書きなのに詩の話はなかなか出て来ない。子ども時代の海や
川で遊んだことや、どんなに喧嘩に強い腕白な子どもであったかと自慢して
ばかりで、これでは「悪童日記」じゃないか(これも読んでません)、一体
いつ詩人は誕生するのかとあきれる。
 目一杯遊んだ日々は、言葉の到来を待って、詩人の身体に蓄えられていた
のだろう。いざ言語表現の世界があることに気づいたとき、蓄えられた身体的
記憶はかたちを得たということか。

 新聞や雑誌は読んでいたが十七歳ころ、ようやく言葉に目覚めるできごと
があって、いよいよ詩人の生涯が語られるかと思いきや、ジャーナリストと
しての活躍に、話は移る。女性に愛されたのですよと自慢してる。
 ダンスも得意で山ノ内秋子(日銀副総裁の娘)に教えに行って、恋愛。
文春時代には「モダン日本」にも関わっていて、慶応の学生だった蘆原英了
とも仲良し等、エピソードはたっぷりである。やや多すぎて、こうなると
頭の整理が追いつかない。

 嵯峨信之(戸籍名:大草実)について地元で調べている人はいないだろうか。
聞書き集1册と大急ぎで文庫本1冊(「嵯峨信之詩集」 徳永久生編 学芸書房
02初VJ)を読んだだけでブログに書き記すようなインチキじゃなく、詩人の
生涯と詩作品とを検証する篤実な研究者が存在することを信じたい。
 14年しか過していないのに詩人は、少年期の風景と当時の友人たちに
永遠を与えようとしているのだ。
<宮崎に「悪童の碑」を建てたいって僕、言っているでしょ。
 それね、結局、成功者にはならなかったこの懐かしい連中を
 記念したいのよ。>(p76) 

     (栗原澪子 七月堂 99初 )

 文庫本から好きな1篇を記す。(「愛と死の数え唄」所収) 

     
    ある島

 夜になると しばしば
 いや 時には 白昼(まひる)のあいだにも
 はるか遠くの海に うずくまつた島が 現れる
 そしてぼくの忘れがたい 楽しい航海が どこまでもつづく
 ぼくを その島へみちびいたのは いつの航海だつたか 覚えていない
 ただどこにいても ぼくを優しくとらえる広い海が
 その島へ ぼくをつれて行つたのだ
 しかしその海は 夢の彼方へ ひろがつていた
 夕日を浴びたその島へ上陸したのは あるいはぼくの
 長い影だつたかも知れない
 夜となく昼となく うずくまつた島が現れる
 ぼくは その島の全貌をうまく話すことができるが
 どうしたことか 話しているうちに
 ぼくの姿は 薄い雲のように いつとなく消えてしまう
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by byogakudo | 2007-08-27 11:15 | 読書ノート | Comments(0)


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