猫額洞の日々

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2007年 09月 13日

歩くひと=荷風/ヌエット

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 (写真はクリックすると拡大します。)

 荷風の延長で?ノエル・ヌエット「東京のシルエット」(酒井伝六訳
法政大学出版局 54初)を読む。荷風も平気で八里を歩くが、ノエル・
ヌエットも負けず劣らず歩くひとである。荷風は杖と風呂敷とカメラ
であろうが、ヌエットは大荷物だ。

<概して、私の外出に必要なお伴が一つある。右わきか左わきに下げて
 歩く鞄か大きい紙入れである。私は、そこに本や、デッサンをしたり
 物を書いたりする紙とインク、予備の眼鏡、ノートブック、ときとして
 弁当を入れ、また途中で買い物をした本とか骨董とか果物とか、
 あるいは摘みとったタンポポの葉も入れる。もっと余計に入れること
 もある。とくに帰宅の際に紙入れが恐ろしいほどにふくらみ、ちょうど
 小さな兎を呑みこんだ蛇の腹のようになることが何回となくある。>
 (「27 足」 p143-144)

 こんな出立ちで彼は、東京をパリをニューヨーク・モスコー・北京を
歩き、様々な発見や体験を得る。

< 私がパリの中を探索し、十六世紀や十七世紀の古い地帯を知ったのは
 歩くことによってであった。こうして街の隅の凹所に聖母像や、古い
 橋や、ピエーヴル川を発見したのであった。(ピエーヴル川は、いまでは
 まったく地下に姿を隠し、今ではそこに川のあることに気づくパリジアン
 はほとんどいない。)>(「27 足」 p144-145)

 街なかを歩くだけではない、やっと機会を得て登った富士山で一文銭を
拾ったこともある。

< 寛永時代のもの、すなわち将軍家光の時代のものなのだ。・・・
 人間の幾世代このかた、豪雨や雪崩がこの砂利をころがしてきた。
 そして、昔の人の落した貨幣が不意にいま私の眼の前に現れてきた
 のである! ・・・私はこれを誰にも譲るまい。これは私が死ぬときまで
 私の財産として動かずにいるだろう。そして私が死んだあとで、この
 一文銭がどこで拾われたかも知らぬ人の手に渡ってゆくことであろう。>
 (「24 登山」 p128)
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by byogakudo | 2007-09-13 14:22 | 読書ノート | Comments(0)


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