2008年 01月 16日

「女たち」(下)もう少し

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 写真は神楽坂散歩で会ったひなたぼっこ猫。

 フィリップ・ソレルス「女たち」は下巻の方がはかどる・・・。

 言葉は事物を限定し、明確化する機能をもつ。明らかにする代償
として、指定外の事柄は自動的に排除される。「これはAである」と
いった途端に「これ」にあった(かもしれない)A以外のぼんやりと
した属性(あるいは可能性)は消える。ソレルスが文中で言及する
ホログラフィックな小説の書き方は、言葉の限定性をなんとか
超えようとする試みだろうか? (だって現実は、世界は、ちっとも
コンクリートなものではないのだから。) 
 読み手は言語化されることで(明示されることで)もたらされる
安心感を奪われ、大きく目を開け、A以外の可能性を想像しながら
読み進まなければならない。

 その他、知識のないキリスト教哲学の話題やユダヤ問題に、ない頭を
酷使しなければならない。読み終えるのに時間がかかるのも当然か。

 しかし、ソレルスはいわゆる知識人なのだろうが、ときどき
「これってトンデモ本?」と思ってしまう箇所もあった。ひとつの
単語から派生的に言葉が浮かび上がり、あまりに連想がほとばしる時、
この結論を信じてよいものかと、疑問を抱かなくもない。

 シェイクスピア「ハムレット」を論じて、二卵性双子である
彼の息子の名前が「ハムネット」、娘は(呪われた響きをもつ)
「ジュディス(ユディト)」で、ハムネットの死後に書かれたのが
「ハムレット」であると論証されているが、牽強付会ではないことを、
わたしはどう調べればよいのか。一瞬に啓示が舞い降りることはあり、
検証困難な結び目をもつ真理もあるとは、わかるけれど。
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by byogakudo | 2008-01-16 12:50 | 読書ノート | Comments(0)


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