猫額洞の日々

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2008年 02月 22日

道尾秀介「ラットマン」読了

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 はい、例の「片目の猿」を罵倒した覚えのある道尾秀介・
新作です。あれよりはトゥイストが巧くなっている。アイディアは
ある作家なのだ。そこは認めよう。

 それにしても、ここからが本題だが、文章に進歩があまり
見られない。前作より多少、ましか。でも何故こんなに訥々と
しか書けないのかしら? 孤独な青年の心情と殺人事件の推理
とを同時に描こうとしてミスってるのかなあ?

 高校時代のエアロスミス・コピーバンドが30歳になっても
続いている、その中で起きた殺人事件あるいは事故を推理する
とき、主人公はかつての厭な記憶に悩まされながら推論して
行くのだが、そこが一人称的に記述される。作者が主人公の
意識に寄り添って書いてしまい、どうももたつく。
 バンド仲間の推理するシーンがあるが、ここもぎくしゃくした
説明的な文章で綴られている。道尾秀介は記述の問題をどう
捉えているのだろう?

 彼の作品を読むのはまだ2冊目とはいえ、読む度に見せ方の
あか抜けない日本人マジシャンのイメージが浮かぶ。腕はある
のに、見ていてちっとも美しくも鮮やかにも思えないような。
 マジシャンの場合はパフォーマンス能力、ミステリ作家なら
文章力の問題だ。

 プロローグとエピローグの入れ方から判断するに、あれは
「見え」をしてみせよう、読者に「どうだ!」と言っている
のだろうが、泥臭い。カッコよく気取ってみせるには、やはり
それなりの修練が必要で、腕もないのに腕力だけで押寄せられ
ても、ばかばかしい。

 それとも彼の表現は、泥臭さの魅力で勝負しようとしている
のか? それなら、わたしが不適切な読者であるというだけで、
上に書いて来たことは何の意味も持たない。

 都筑道夫が黄色い部屋の改装を提案してから、もう何年経った
のか。問題点は指摘されたのに、解決を探ろうとする努力もいつか
忘れ去られ、放置されている。

   (光文社 08初帯) 
 
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by byogakudo | 2008-02-22 19:37 | 読書ノート | Comments(0)


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