猫額洞の日々

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2008年 03月 21日

国家という暴力装置

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 チベット独立の動きと北京オリンピックとの絡みで
感じるのは、そもそも国家とは必要悪な暴力装置である
という視点が、欠けているのではないかしら?

 必要悪だから監視を緩めるとすぐ、たとえば戦争体制維持
協力法案ができてしまっている。自衛隊は、第二次大戦下の
関東軍と同じで、自国の民間人を見捨てる・殺す。

 では、国家という枠組みを現時点で消滅させてしまうと、
すぐに内戦状態が立ち現れるだけだ。
 できるだけ血を流さないですむよう、変革には時間と粘り強い
交渉力が必要ではないだろうか。いまチベットの独立を承認したら
次々に少数民族の独立運動が持ち上がり、中国国内が混乱状態に
陥るのは目に見えている。血はさらに流されるだろう。
 ソフト・ランディングへの知恵が要求される。

 もちろん無力なままであったら、独立への願いなぞ叶えられない。
しぶとくアピールし続ける姿勢と、他国からの働きかけが必要だ。
アメリカ式のフセインを殺せば、フリー・イラクが即、実現すると
考えるような、願望と思考を混同した単細胞あたまは願い下げだ。

 もうひとつ。オリンピックだの万博だのは、国家総動員法の
一種と考えないのだろうか? 政治がうまく行かないとき、
人々の不満を逸らせるためにも便利で、おまけに誰かの利権にも
結びつくイヴェントとは、近頃は思われなくなったのだろうか。

 子どもの頃、東京オリンピックがあった。開会式の日は、
うちでTVを見なさいと言われて、学校が早く終わったと記憶する。
 2階の自分の部屋にひとりでいたら、下の居間から開会式を伝える
TVの音が聞こえてきた。

 子どもの頃から国家的イヴェントに対して、どうも肌が合わなくて
そのまま生きてしまった。「KY」という言葉がほんとに使われて
いるのか知らないが、今更、国威発揚の気分に合わせられる人格に
なれる訳がない。もう遅すぎる。
 友人は、ひとりいれば、それで充分。
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by byogakudo | 2008-03-21 20:39 | 雑録 | Comments(1)
Commented by 芽句 at 2008-03-21 22:30 x
まったく同感! 
私も今回のチベットの抗議活動(この件については、マスコミは“暴動”という言葉を使うべきではない)とオリンピックについて、一言言いたくてブログに書こうと思っているのだけど、忙しくてまだ書けていませんが、COCOが代弁してくれました。
ありがとう!


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