2008年 04月 28日

ピーター・ディキンスン「緑色遺伝子」読了

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 人種差別問題から発してストーリーや思考が枝分かれ的に
展開するのかと思いながら読んでいたら、人種差別問題のまま
終わってしまった。あらあら。

 結局言いたかったのはそれだけなのか。SFであれば、もっと
思考を深めることもできたんじゃないか。
 イギリスSFによくある社会派SFに終始した感じだ。遺伝子の
せいで緑色の皮膚をもって生まれてしまい、社会的に下層に
追いやられる存在を考え出したのは、ディキンスンらしい
へんてこさで、そこは面白いのだが、それ以上行かない。

<[略]わたしたちの扱われかたといったら__何世紀ものあいだ、
 それも時を追うにつれてひどくなっていくから__もう美徳に
 したがうことなんてできないようになってしまったのよ。
 細くてまっすぐな道が爆破されてしまって、もうわたしたちには
 破滅への道を選ぶことしか残されていないのよ。選択はすべて
 邪(よこしま)なものだわ。でもひとつだけはっきりしている。
 知らん顔をきめこんだり、戦いに参加しなかったり、いつまでも
 堕落のなかに身をおいていたりしたら、それが邪なものをいつまでも
 はびこらせることになるってことね。とれる行動はせんぶ邪なもの
 だけれど、そのなかからなにかいいものが生まれてくるかもしれない。
 必ず生まれるとは言えないけれど、生まれてくるかもしれないのよ。
 わたしは可能性にかけたのよ。[略]」>(p238)

 緑色の皮膚をもつ女性ゲリラの発言である。近頃あまり使われなく
なった「ゲリラ」という言葉だが、「ゲリラ」を「テロリスト」と
言い換えられるひとは、権力サイドに立っている。無意識の裡に。

   (サンリオSF文庫 79初)
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by byogakudo | 2008-04-28 12:15 | 読書ノート | Comments(0)


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