2008年 05月 28日

「まるごと杉浦茂」より

e0030187_16143.jpg












 ペップ出版「杉浦茂ワンダーランド 別巻 まるごと杉浦茂」(88初)
には杉浦茂自身による年譜やインタヴューが収録されている。

 1908(明治41)年、本郷の医家に生まれる。大学受験万年浪人の長兄、
旧制中学生の次兄がとっていた「新青年」や冒険小説を読み、活動写真に
熱中する。

 1913年、関東大震災。翌年、父が急死。二人の兄は医師になり、以後
数年、画塾に通う茂青年を援助。

 下町と山の手の中間にある本郷で育ったせいか、浅草になじめず、
(青年期は)新宿の武蔵野館、徳川夢声たちの活弁を好む。
< 浅草その他の弁士は美文調でいい調子でやるんですよ。[略]
 だけど武蔵野館の一派はそういうやり方じゃなくてね、もっと
 普通に淡々と語るようにやるんです。[略]これはインテリ青年向き
 ですね。>(p146~147)

 画学生時期は油で風景画を描く。子どもの頃から父に連れられて
上野の帝展に行っていた。
< [略]おやじは日本画が好きなので日本画の所を観て廻るんですが、
 私は洋画が好きだったから洋画部門だけを観て廻るんです。それで、
 出口の所で、また、おやじと落ち合って帰るんです。>(p141)
 茂少年が、日本画を描く父を見ている漫画あり。(p128)

 杉浦茂青年の描く風景画は自然ではなく、建築物。しかも当時の
モダーン建築ではなく、東京駅や三菱の一丁ロンドン、帝大、大使館、
横浜山手の外国人の建てた洋館などである。

 ある日帝大にスケッチに行った茂青年は、赤煉瓦の建物の前に
イーゼルを立てて写生している人を見る。直観的に長谷川利行だと
思う。絵をのぞいたら、やっぱり長谷川利行だ。
< そしたらその人がね、私に話しかけてきたの。「バーミリオンが
 なくなってね、赤レンガの色が出なくて困っているんだ」って。
 [略]それで「私も油絵をやっていて、近いからすぐ持ってきて
 あげます」って、家へ飛んで帰ってね、絵具箱かついで持ってきて
 バーミリオンの絵の具あげたの。そしたら「ありがとう」って言って、
 ババババッってあっという間に仕上げちゃってね。それからあの人と
 お知り合いになってね、東京中に写生のお供をしていつもくっついて 
 いった。[略]>(p153)
[PR]

by byogakudo | 2008-05-28 16:02 | 読書ノート | Comments(0)


<< 「まるごと杉浦茂」より (2)      柄刀一「密室キングダム」読了 >>