2008年 07月 08日

磯崎新の「都庁」 補遺

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(7月7日の続き)

 p30からp35にかけて細かい字で新都庁コンペの応募要綱が
採録されている。受験のテクニックならば「まえがき」にある
主旨を読み取り、作戦を立てるところだが、磯崎新によれば
<「・・・真っ先に"審査員の名前"を見るわけです・・・。」>
(p37)
 どんな賞でもコンペでも同じことだけれど、そこから狙い目は
わかる。超高層ビル2棟の建設が望まれている姿だと解っていながら、
磯崎アトリエはあえて低層プランを立てる。

 磯崎新の闘い方は、
<「図面をアートにしてしまえ」>(p359)。
 採用されない前提で設計図を作品化するのかと、端目には見えかね
ないが、若い頃、建築家仲間より60年代の前衛アーティストとの
付き合いが多かった建築作家らしい判断だ。

 設計図はシルクスクリーン刷り師・石田了一、模型は木型職人・
石黒昭二に頼む。図面を収納するための箱まで、表具師・吉野史門に
依頼する。

 着々と準備を進める丹下事務所では、
<「ぶっちぎりで勝とう!」>の合言葉のもと、プランは進行して
いる、というのに。
 丹下健三は、横綱相撲なぞ、毛ほども思いつかないファイター
として描かれる。個人的な野心と国家建設への思いにズレの入る隙間が
ない人なのだろう。よくわからない心性だけれど、そういう人は、いる。

 よくわからないと言えば、コンペ応募要綱中の周囲の高層ビルよりも
高く!という条件も、理解しづらい。権力者が自分の業績を長く強く
印象づけるために、巨大なモニュメント建設を図るのは、よくあること
だが、建築物はいったんできてしまうと視界を決定する。

 夕べも部屋の窓から新宿都庁を見てみたが、やっぱり相変わらず
間抜けな塔が2本、視野に入る。たしかに周りの高層ビルより高い。
それがどうした、の世界だ。でも「彼ら」にとっては嬉しいのか。
 当時の鈴木俊一都知事の要望に添った高い都庁舎はできたけれど、
外観は気に入ったが、使い勝手は悪いと都知事は語っている。

 都庁舎コンペの前の根回し段階では、さかんに「シティ・ホール」
建設のための審議会が開かれていたらしい。その頃も都民だったが
ちっとも知らなかった。

< 「庁舎」は、・・・お寺や神社の社務所、すなわち「事務所」の
 意味だった。
  一方、「シティ・ホール」はヨーロッパ中世に遡る。・・・
 新興の商業・手工業者たちが自治権を獲得し、都市を築き、市民と
 なった。都市の中心には社交の場として「広場」が設けられ、その
 延長に大広間がつくられた。・・・市民やその代表が話し合いをする
 会議場として利用された。これが「シティ・ホール」の語源である。>
(p394)

 つまり、自治権の象徴を謳い文句に、あるいは立て前にした
「シティ・ホール」という名の都職員のための事務所が、現在
目にしている新宿都庁舎ビルである、ということ。

   (平松剛 文藝春秋 08初帯)
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by byogakudo | 2008-07-08 13:34 | 読書ノート | Comments(0)


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