2008年 08月 11日

また「20世紀SF2 1950年代 初めの終わり」を手にする

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 新着欄に1冊、文庫本を追加しました。読書の夏(休み)、って
気分です。

 これも忘れないうちに。
 パティ・スミスがメイプルソープに捧げる詩を朗読するCDが
出たそうだが、もう聴いた方はいらっしゃるかしら。
 「ザ・コーラル・シー」(Pヴァイン 2枚組 ¥3150)、ギターの
ケヴィン・シールズ(「マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン」の、という
ことだが、それを知らない)と共にパフォームしているらしい。よさそう。

 積極的に読みたい本が見つからず、中断している「20世紀SF2 
1950年代 初めの終わり」(ディック/ブラッドベリ他 河出文庫 00初)を
ふたたび手にする。

 各短篇を、飛び飛びに拾い読みしているが、ミステリと違いSFは、
時代性の制約が大きいのだろうか。いま読んでも面白い作品と、古さが
退屈さにつながる作品との差が目立つように思われる。50年代のベスト
SF短篇を纏めてあるのだが。

 ディックやアルフレッド・ベスターは素晴しいが、70年代に好き
だったブラッドベリの抒情性について行けなくなっているし(これは、
老化のせいもある)、フレデリック・ポール「幻影の街」やコーンブルース
「真夜中の祭壇」などは、底の浅い社会派SFと読んでしまう。

 たしかにSFには、社会体制への批判的描写という側面があるが、
なんだろう、作者がどれだけ深く思考したかによってだろうか、
たんなるアイディア・ストーリーに終わるか、骨太いコンセプトが
ずんと感じられるベスター「消失トリック」みたいになるか、
分岐点がある。

 ベスターの芯の強さ、骨格性は音でいえばフランク・ザッパかな?
 ディック「父さんもどき」は、映画「蠅男の恐怖」に感じられた
50年代の性的抑圧の強さ(冷戦化のマスヒステリアによる抑圧感)を
思い出させる。

 むかしのミステリなら、古さを古雅とまでは言わなくとも愛嬌と
捉えて愉しむ技も使えるが、SFの場合、古さが古くささに陥りやすく、
これは仕方ないSFの条件だろうか。
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by byogakudo | 2008-08-11 13:31 | 読書ノート | Comments(0)


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