猫額洞の日々

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2008年 10月 05日

「戦後モダニズム建築の極北 池辺陽試論」もう少し

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 「問いとしての建築」を原則としたひと、のようだ。建築家は
みんな、それが基本姿勢であろうが、特にその意志が明確強固で
あるように感じられる。

 前にも書いたが、長年、近代建築痴だった。子どもの頃、ガラスと
鉄筋コンクリートだけでできていて、装飾性がなく、つまんないと
思っていた近代建築ではあるけれど、ポストモダーン建築の、何と
言えばいいだろう、カメラ目線の建物が目立ち出してから、いつの
間にかモダーニズムの潔癖性・潔さに懐古の眼差しを注ぐように
なっていた。
 過去なら愛せる体質というのは問題だが。

 収められた建築写真から、なつかしいモダーニズムを感じると
思ったら、池辺陽は石津謙介邸の設計者だ。むかし「婦人画報」で
紹介されていた、と思う。各室を壁で仕切らず、トイレットにも
ドアがないことが特筆されていた記憶がある。
 閉じこもりたい方だから、この開放性は苦手だが、何しろ「問い」
の住宅ならば、それも起こり得る。

 ただ、建築技術に関しても熱心に研究し、新建材をよく試みたと
あるが、火事の際の新建材の問題点を、どうクリアしたかが書かれて
なくて、気になる。新建材のフレキシビリティを充分に生かした住宅の
屋根の丸みなど、とても魅力的ではあるが、新建材は燃えると毒性ガス
を発生するのが殆どではないか。


 個人と社会の接続点としての建築家の存在、ということは理解した。
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by byogakudo | 2008-10-05 14:25 | 読書ノート | Comments(0)


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