猫額洞の日々

byogakudo.exblog.jp
ブログトップ
2008年 11月 03日

「何がサミイを走らせるのか?」1/4辺り

e0030187_14102443.jpg






click to enlarge.


 1930年代のハリウッドを舞台にした悪漢小説のようだが、始まりは
ニューヨークの新聞社である。

 やせた白いたちみたいな顔をした野心満々のサミイ少年は、新聞社の
雑用係から出発して、ラジオ欄のコラムを担当するようになる。
 いつも他人をいかに利用できるかと考え実行に移す、恐るべき十代の
少年に嫌悪感を抱きながらも、どこか却って魅せられている演劇欄
ライターの被害者側の視点から、物語は書かれる。

 演劇も映画もユダヤ人社会みたいであるが、語り手のユダヤ系男性が
父や自身の過去を回想する場面が、わかりにくい。

<[略]私の父はそこでただ一人のラビ、つまりユダヤ人牧師だったが、
 [略]キリストに似た温厚さとに明けくれる生活を送って[以下略]。
 私は町の小さな、だが立派なメソジスト派の大学に入学したが、
 そのときもまだ、やがては父のあとを追ってユダヤ教の神学校に
 進むものと自分で決めていた。>(p26下段)

 ラビの息子であるから語り手もユダヤ教徒であろうが、キリスト教・
プロテスタント系の大学に入ってからユダヤ教神学校に進む、
というのが、どうも理解し難い。メソジスト派は改宗しなくとも宗教に
関係なく入れてくれる、ということなのだろうか? それとも20~30年代
アメリカでは、ユダヤ教・キリスト教に係らず、原理主義的ではなかった、
ことを示しているのだろうか?

 一応それは措いておいて、ハリウッドに進出したサミイ青年の後をまるで
追うかのように、語り手はシナリオライターとして映画界に招かれる。
 そこでサミイの、ますますのやり手振りを目撃する、ことになるようだ。

 作者のシュールバーグはユダヤ系の名前であろうが、もし似たような
悪漢小説を、たとえばイーヴリン・ウォーが書いたら、どうなるだろう?
 被害者側から書くとしても、被害者意識ではなくブラックヒューマー
として書いて行くのではないか、なぞと妙な方向に想像が走る。
 ユダヤ系作家がみんな、被害者意識に基づいて書く、という訳は
ないだろうけれど、むかし読んだマラマッドとかも、被害者側小説(?)
ではなかったかしら。もう全く内容が思い出せないのだが。
[PR]

by byogakudo | 2008-11-03 14:19 | 読書ノート | Comments(0)


<< EP-4 インタヴュー/再録      「何がサミイを走らせるのか?」... >>