猫額洞の日々

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2008年 11月 12日

吉田健一「瓦礫の中」読了

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 昨日、美咲歌芽句ブログをご紹介したが、彼女の詩のページに
うまく飛ばなかったようです。失礼しました。訂正済みですので
お試し下さい。
 「目覚め」は「ROCKERS 完全版」のために書いた詩で、もう
一篇も、近々アップされる予定。

 さて、「瓦礫の中」(吉田健一 中公文庫 77初)を昨夜、読み終わる。
これも登場人物は七人かしらと数えてみたが、六人だった。
 内、占領軍少尉・ジョー(ジョーゼフ・サリヴァン)はアメリカに
帰ってしまうし、ジョーの運転手だった元浮浪児・六郎少年の後の
奥さんは、ほとんど名のみの登場だから、実質、三人か。
 いや、ジョーとの会話は三人と同じレヴェルの文明批評だから、
メインは四人だ。

 今度、「東京の昔」の登場人物数を数えてみよう。三人以上出すと
文明批評小説は書きやすくなりそうだが、と荷風の「冷笑」なぞを
思い出したところで、吉田健一と荷風の違いについて考える。

 ふたりとも文明批評的である。立場は似ている。でも吉田健一が
荷風に対してからかっているような眼差しであるのは、どこに
原因があるのだろう?
 風景に向かうとき、過去の様子を思い出しながら現在の風景を
見る、いわば二重写しの視覚技術を用いて、今がどんなに変貌
しようと、やり過ごす対峙方法は、似たようなものではないか。

 大した違いはなくて、肌合いの相違、気質の違いがいちばんの
理由みたいに思えるのだが、諦めつつも、ともすれば詠嘆的になる
荷風の抒情詩人風のところが、吉田健一にとって、大人じゃない、
ということではないかしら。
 そんなことを薄ぼんやり思いながら、「墨東綺譚」の「作後贅言」を
読んで、昨夜は眠る。
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by byogakudo | 2008-11-12 15:15 | 読書ノート | Comments(0)


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