猫額洞の日々

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2008年 11月 29日

「いずれ我が身も」「モダンガール論」読了

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 (昨日のブログに写真を入れました。)
 新着欄をどうぞ。
 新着欄

 あいだに色川武大「いずれ我が身も」(中公文庫 04初)を
挟んで斎藤美奈子「モダンガール論」(文春文庫 03初)の、
2冊読了。
 どちらも面白かった。前者は枯れて軽やか、後者は10枚
くらい付箋を挟みながら読んだが、さて、どこを取り上げよう。

 <良妻賢母思想は娘たちとその親に、進学の大義名分を
与えたのだ。>(p28)という、女子の近代のはじまり(p29)。
 なるほど。近世の「女大学」による<腹は借り物、女は無学
文盲をもってよしとす>(p27)から近代の「良妻賢母」へ、
である。たしかに新しい。

 ずっと飛ばして第二次大戦前後のフェミニストの言動。
戦争の勃発に際して、羽仁もと子・奥むめお・市川房枝等の
翼賛発言は、
<どうしてそんなリベラルな人たちが保守反動勢力に
手を貸しちゃったのだろう、と思っていると、この謎は
解けない。発想をかえなくちゃ。彼女たちのような考え方こそ、
当時は「革新的」だったのだ。
 戦争は変化を求めていた人々の気持ちをパッと明るくした。
保守的で頑迷な昔風の女性ではなく、前向きで活発で
近代的なセンスをもった女性ほど、戦争にはハマりやすい
のですよ、みなさん。>(p197)

 そして敗戦を迎え、
<彼女[注: 羽仁もと子]にかぎったことではなく、市川房枝も、
奥むめおも、平塚らいてうも、戦前の婦人運動の指導者たちは、
特に過去を清算するでもなく、みんなこんな感じで戦後も
婦人解放運動・平和運動のリーダーに復帰した。だから
いったでしょ。「進歩的」な女の人は、いつも「新体制」の
前で張りきっちゃうんだって。>(p221)

 「リベラル」は自分の善意を無批判に肯定している場合が
多いから、だろうか。
 長谷川時雨がずっと忘れられていたのは、戦中に死んで
しまい、戦後の活動がなかったから、なのだろう。
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by byogakudo | 2008-11-29 15:06 | 読書ノート | Comments(0)


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