2008年 12月 16日

鈴木創士訳「花のノートルダム」補注

e0030187_14285544.jpg









click to enlarge.


 12月14日付けブログについて、鈴木氏から丁寧なメールが
届く。わたしの言葉の足りなさ・浅さを補うために、許可を得て
一部引用させていただく。

<[略]原文をぶつぶつ切ってしまい、文章のリズムを変えて
しまうことは、「意味」の点でも辻褄が合いにくくなることも
多々あるのです。[略]文体の点でも、作家の書きたかった文の
意味の点でも、まったく違ったシロモノになっていることが
多々あります。[略]文体のリズムに忠実であることは、書かれて
ある意味、作家が言いたかった文章の「意味」という点でも、
書かれた文意に忠実であるということだと僕は思っています。
大げさに言うのではなく、技術的な点でも、作家の文体は
書かれた意味と切り離せない、とつねづね僕は考えてきました。
なぜなら例えば、あることを言うためになぜジュネはこれこれの
文章の書き方を選んだのか? という問いがあるからです。
日本語と同じように、別の言い方だってフランス語でもできる
からです。
原文を読めばわかるのですが、例えばわざわざ意訳をしつつ、
それでいて書かれた「意味」に忠実であろうとすることは、
ほぼ逆に神業に近いのです。
僕はただそのような遠回りをしないだけです。
文体に忠実であることは、そのまま書かれた構文の意味を
捉える最も近道だと僕は考えています。>

 こんな風に考えるのは、鈴木創士氏がミュージシャンであった
からではないだろうか。音が身体に入っているからこそ出て来る
姿勢ではないか、と考える。
[PR]

by byogakudo | 2008-12-16 14:23 | 読書ノート | Comments(0)


<< 恒川光太郎「草祭」読了/中村弦...      映画「私は猫ストーカー」撮影前後記 >>